殴るぞ

色々と思いっきり話します。

松坂大輔「あなたという物語の最終章」

 一昨年の年末、北の湖が亡くなったときだろうか。テレビで流れていた還暦土俵入りでの北の湖を見て、母は号泣し始めたのだ。ちなみに、そのあと千代の富士が登場した際にはこれでもかと罵倒していたのだが。

 ガンの闘病により身体はやせ細り、足も十分に上がらず、治療が恐ろしいほどに過酷であることを物語っていた。あれだけ生前は批判するだけしておいて、いざ人が亡くなれば手のひらを返したように賞賛し始めるテレビのことも毒づいていたこと。還暦土俵入りをみて号泣していた母は、まぎれもなく北の湖という力士を心から愛していたのだろう。

 人は多くの過ちを犯す。北の湖が理事長だった時には多くの不祥事が発生した。それから再び返り咲いたときの批判は凄まじかった。それでも人は亡くなれば、手のひらを返したように賞賛する報道しか流さない。立ち回りが良いですねと皮肉を述べたくなるほどに。

 そろそろ、本題に入ろう。私が言いたいのはメディアは容赦ないということだ。特に衰えてきたベテランが、全盛期とは見る影もないパフォーマンスを見せればこれでもかと人は批判をする。ましてや彼らが高年俸をもらっていれば、なおさらだ。松坂大輔は、文字通り「給料泥棒」と呼ばれていたベテランの一人だろう。そして私は、母が北の湖の土俵入りで涙したように、彼のピッチングを見て涙をこぼしてしまった。こんな松坂を見たくはなかったと。

 彼が横浜高校を卒業してから、西武に入団した時の私は、まだ野球のことを良く知らなかった。清原が巨人にいて、ゴジラ松井も古田も。あの頃のメンバーがみんなみんな元気だった時代。だが、松坂とイチローの対決をテレビで見たとき。子どもの私は「おお、すげえ!」と思わず叫んでしまっていたのだ。

 それからの活躍は言うまでもない。西武のエースとして活躍し、WBCでは2大会連続制覇に貢献した上にMVPを受賞、メジャーリーグでも18勝を挙げるなど活躍した選手だった。怪物・松坂大輔は海を渡ってもその怪物ぶりで我々を驚かせてくれていたのだと思う。しかし、怪物でいくらでも投げられるが故に、彼は次第にその宝石のような輝きを失っていくこととなってしまう。イチローから「野球をなめているだろう」と指摘されたのも、その宝石のような輝きが失われていくときにどうしていくのかを考えていなかったのを見抜かれていたからではないか。

 18歳にして選球眼の優れていた片岡篤史から三振を奪ったストレートのパワー、スライダーをはじめとする鋭い変化球。フィールディングにも優れている上に、打席に入ればヒットも打てる。その才能は、おおよそ18歳のスケールを飛び越えていたように思えてならない。田中将大でも、ダルビッシュ有でも、藤浪晋太郎大谷翔平も。恐らく18歳の彼には勝てないだろう。それだけの才能とスケール感があった。

 練習も熱心だった。それでもなめていると言われた松坂。36歳になった今、そのツケが来ているのかもしれない。あんな松坂は見たくなかった。相手をねじ伏せるパワーと鋭い変化球できりきり舞いにする、あの頃の姿をもう一度見たいと。

 そして、なりふり構わずに野球へと打ち込むため、ベネズエラウィンターリーグから帰ってきたとき。松坂の体は大きく絞れていた。そして、今年のキャンプ。ブルペンで精力的に投げ込む姿を見せていた姿は「怪物」と呼ばれたあのときのそれだった。

 元々、ブルペンで投げ込んで形を作り上げていく投手。怪物と呼ばれてこそいるが、自分が納得いく感覚を掴むまで投げてしまう完璧主義のきらいがあるのかもしれない。しかし、肩の痛みがそれを許さなかった。

「去年は100球を超えるのがすごくしんどかった。ストレスがある分、体より気持ちが先に疲れた」と語るように、そのストレスが今年はないという証拠なのだろう。動画サイトに掲載されていたブルペンでの投球練習でもフォームのバランスを気にかけながら投球し、自らが納得いくフォームで投げ込んでいたのが印象深い。

 契約年数最後の年だから、というのももちろんあるだろうが、今まで投げて作り上げることができなかったフォームを固める土台づくりができなかったストレスを一気に解消しているかのような。とにもかくにも、松坂の今年に賭ける意気込みを感じる。

 恐らくは、もう155キロを超えるストレートを投げることも、鋭く曲がるスライダーを投げることもできないだろう。しかし、それを捨ててなりふり構わない松坂大輔を一軍のマウンドで見ることができたら。それは彼がやってきた野球人生の最終章が幕を開ける瞬間ではないだろうか。

 良かった時のイメージとかけ離れた投球しかできなくなっていた時期から、どうにかして勝つために投げる新しい松坂に。かつてなめていた野球を、再び真摯に向き合い始めた時、怪物の錆びついていた才能は、再び輝きを取り戻し始めた。そういうことなのだろう。

 18年前に見せたあの投球は見られないかもしれない。山本昌のように息長く現役を続けることは難しいかもしれない。それでも、松坂大輔を見たい。彼なら、きっとやってくれる。そんな気がするのだ。

 仙台で惨めな姿を晒したとき、彼は引退することも選択できたはずだ。しかし、なぜ今も彼は現役を続けているのだろう。野球選手・松坂大輔はたとえ現在が悲惨でも、過去で生きることができたというのに。

 8年間で190試合に先発登板し、メジャー移籍直前は年間2ケタ完投が当たり前だった西武時代。調整方法や練習で苦しんだメジャー時代。ひじの故障と肩の故障。思うに、彼は突っ走りすぎてしまっていた。それでもチームの為には「嫌」とは言えないし、投げられる状態なのだから投げてしまう。やがて彼は消耗しきり、福岡に到着した頃にはもう、擦り切れてしまっていたのだろう。とても、4億円という価値には見合わないくらいに。

 しかし、それは彼の生き方に反するのだろう。決して熱血タイプではない。取材対応でも飄々と、淡々とコメントするのが印象的な選手だ。そんな彼が、今でも投げたいと思うのは、それこそが自分の生きる道であり、松坂大輔という野球選手がこのままで終わっていいわけがないというせめてもの意地なのかもしれない。

 茨の道だ。それでも彼は松坂大輔であろうとしている。今も。37歳になった怪物、松坂大輔。最後真っ白な灰になるまで戦いつくしたら、改めて労いの言葉を贈りたいと思う。日本中が彼を怪物と呼び、その名に恥じぬ実力を見せてから19年になる。彼と言う野球人生のドラマの最終章を私は最後の最後まで見届けていきたいと考えている。

Twitterはこちらから。

Facebookページはこちらから。

人気ブログランキング