殴るぞ

色々と思いっきり話します。

大野倫をただの悲劇で終わらせていいのだろうか?

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高校野球と聴いて何を思い出すだろうか?

全力プレー、喜び、悔し涙。その一瞬にかけるという想い。
高校球児たちは、その時を生きている。それはかつて自分たちもそうであったのと同じなのだろう。
だからこそ、高校野球を見て涙を流す人だっているし、感動を貰う人や勇気をもらう人だっている。
一瞬にかけるからこそ、美しいのだろう。もちろん私も高校野球は大好きだ。
少なくとも毎年選手名鑑は買うし、2年前は一人で甲子園に行ってきた。
うだるように照り付ける太陽の下で、ただひたすらに野球をプレーする選手たちを見て自分の10年前はこんなに必死になってなかったなとさえ思う。

◆感動がコンテンツ化している

思うと、高校野球はこんなにも明るいコンテンツになってしまったなと思う。もちろん、昔から高校野球に親しみを持つ人たちはいた。
けれど、最近行われた「高校野球総選挙」という番組や「熱闘甲子園」という番組に相葉雅紀さんがキャスターとして起用されるなど、高校野球は明らかに陽の目を見ている。
それは間違いなく高校野球というコンテンツが大きくなりすぎているからだと思っているのだが、それに限らず感動がコンテンツ化しているからだと思っている。
サッカーのワールドカップにオリンピック、箱根駅伝高校サッカーフィギュアスケートに卓球。
テレビで昔からやっていたスポーツのイベントがどんどんネットが進化していくのと同じくらい、感動を共有しやすくなっている。
言ってしまえばスポーツはまるで、Instagramのように手軽にいいねが出来る時代になっている。

だが、同じくらい「若者を犠牲にして感動を得ている」という罪悪感も覚える。
それは真夏の太陽の下でプレーしているということも一つあるが、時には怪我を隠したままプレーする選手たちも居るということだ。

大野倫という悲劇

かつて、沖縄水産高校に大野倫という投手がいた。高校野球ファンならずとも、覚えている人はいるはずだろう。もう30年近く前の選手にはなるが。
当時の沖水と言えば強豪チームとして名高く、沖縄の名門高校として72回の全国高校野球選手権では天理高校に敗れたものの準優勝。
いよいよ沖縄も真紅の大優勝旗を手にするところまで来ていた。大野さんはレギュラーの外野手として試合に出ていた。

秋の九州大会で選抜こそ逃してしまったが、名門の鹿児島実業を苦しめたことが良い経験となり、これで甲子園には行けるという風潮さえ出ていた。
だが、ある試合で。大野さんの肘はブチッという音と共に悲鳴を上げることとなってしまう。それまで抑えていた相手にも打たれるようになる。
痛くて投げられないという状況を言うことが出来ないまま、大野はそれでも肘を冷やしては騙し騙し練習を続けた。
ですが、チームメートから「甲子園に出られなかったら、一生恨む」と言われ、草を刈る鎌で追いかけ回され。
大野さんが監督の栽弘義さんに打ち明けたのは沖縄県予選の準決勝からだった。

沖縄県大会の時には既に投げられるような状態では無かった。
彼が持っていた間違った責任感、だが大野倫というエースで行くしかないというチーム事情。満身創痍の状態である事を最後まで監督にしか明かさないまま、大野さんは最後まで腕を振った。
痛み止めが悪い方向に行くことが分かっていたのだろう。整体師、超音波治療、オカルトチックな治療なども行って栽監督は最後まで大野さんに頼るしかなかった。
8月18日の3回戦から21日の決勝戦まで。4連投が続いた。限界を超えていた。そして、大野倫大阪桐蔭高校に挑んでいった。
最後まで投げて、13失点。もうすでに、彼の肘は限界を越えていた。肘は変な方向に曲がり、今でもまっすぐに伸ばすことはできないという。

結局大野さんはその後、投手として二度とプレーしなかった。当然、栽監督は批判された。その批判は今以上に苛烈なものだったかもしれない。
二宮清純は「監督を殺してやる」という嘘を書き立てた。むしろそのことに対して大野さんは腹を立てているという。
大野倫はかわいそう」という風潮ばかりが独り歩きしているし、悲劇のエースと美談に仕立て上げようとしている。その美談に仕立て上げようとするのはとてつもなく簡単な事だろう。

◆30年たった今、どうだろうか?

それ以上に1991年に起きた悲劇から30年近く経った今。どうだろうか?
高校野球は大野さんの反省を活かしていない。

いや、大人は全く分かっていない。
福山雅治に歌を作らせる前に、やらなければならない事が多くあるのではないだろうか?
教育上、難しい事が分かっているならば。せめてルールにして、策を講じなければいけないのではないか?
大人が子どもたちを守らないでどうするというのか?
大谷翔平くんが甲子園に出て、連投でヘロヘロのボールを投げている姿を見て、どう思いますかね?」
日刊スポーツへの取材で大野さんが語った言葉だ。甲子園に魅了された当時の高校球児は、だからこそルールにするべきではないかと今でも提唱している。
自分のようになってほしくないという意識をずっと持ったまま、今は子供たちに野球を教えているという。

高校野球は確かに感動する。甲子園だからこそ生まれたドラマは幾つもある。
だからこそ、感動のコンテンツ化に踏み切るよりもプレーする球児たちのためになるよう、大人が頑張らなければいけないのではないか。
高校野球を見ながら、今でもそう思うのだ。

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