殴るぞ

色々と思いっきり話します。

磯網栄登くん「一夏の物語」

「お話を聴いてもらっても良いですか?」

 一つのLINEに来たメッセージが来たのは、夏の終わりのことだった。それなのに、まだカンカンと照り付ける日差しは未だに夏を終わらせまいとしているようで。だが確実に、秋はゆっくりと近づいていた。

 もちろん。そう返答し、残暑の残る昼下がりに阿佐ヶ谷で待ち合わせることにした。待ち合わせの喫茶店で、ぼんやりと熱い夏の甲子園を思い出していた。全く休暇を取ることができなかった夏を振り返り、また次の夏へと想いを馳せていた。

「お待たせしてすみません」

 そう言って喫茶店に飛び込んできた声の主。磯網将人さん。以前福島の復興支援で一緒になり、以来一人の友人である。将人さんもまた、一人の高校球児だった。早稲田実業では甲子園にも出場した人物である。将人さんは野球一家の長男で、三兄弟そろって甲子園の土を踏んでいる。

 一つ下の弟、遊斗さんは東海大相模で主将を務め、春の選抜高校野球では優勝メンバーの一人。そして、末弟の栄登くん。彼もまた、甲子園の土を踏み、昨夏全国を制覇したメンバーだったのだ。

 東海大相模が優勝して幕を閉じた昨夏の甲子園。優勝候補と呼ばれていた東海大相模が優勝して幕を下ろしたが、ハイレベルで個々の選手たちの能力も高かった。また、試合展開も高校野球の魅力が凝縮されたような、素晴らしい大会だった。

 大会を彩った選手たちも印象深い。優勝投手となった小笠原慎之介選手、吉田凌選手を始めに、怪物・清宮幸太郎くんや関東第一のオコエ瑠偉選手、仙台育英の平沢大河選手に山本武白志選手。挙げれば挙げるほどキリがなくなるくらいだ。

 U-18のワールドカップが日本で行われたことも、それに拍車をかけた。文字通り野球尽くし。できることなら、観戦に行きたかったくらい。諸事情が重なり観戦に行けなかった夏を悔いながら、世間話をする。それからアイスコーヒーをオーダーし、それが来たのを確認して一口飲んでから、一言目を発する。

「いっつも『兄ちゃん』なんて言って、くっ付いてきていた栄登がなあ……」

 物語が、こぼれ始めた。

 磯網三兄弟は、茨城県鹿嶋市の出身。父の俊一さんが少年野球の監督をしていたことも手伝って「サッカー処」でもある鹿嶋の地で野球を始める。そんな栄登くんが将人さんにとって可愛くて仕方なかったのだろう。将人さんは栄登くんが成し遂げた功績を、自分のことのように噛みしめて喜んでいた。

「いっつもくっ付いて歩いてきてね。あんなにちっちゃかった栄登が成し遂げてしまうなんて。分かります?」

 顔をほころばせ、私にそれを訊ねる。あいにく、私の家族はスポーツ一家というわけでは無く、何かを通して大きな喜びや感動を享受した経験が少ない。ただ、きょうだいが何かを成し遂げることの喜びを噛みしめたい気持ち。それだけは、分かる気がした。

 将人さんと栄登くんは学年にして5学年離れている。シニアチームのキャプテンとして活躍し、野球留学早実へと進学した兄の姿を見て、憧れと尊敬の念が増して行ったのだろう。

「地元に帰ってくると、いつも『練習に付き合って』ってお願いして来たんですよ」

 自慢の大好きな兄に練習を手伝ってもらう。それも彼にとっては誇りであり、楽しみであったのかもしれない。だからこそ、彼も懸命に練習し、兄たちが通った道である鹿島シニアのキャプテンとなったのではないだろうか。

「何より、俺に似てイケメンでしょ、栄登」

 ここまで弟が大好きだと、もう清々しくなってくるほど、将人さんは栄登くんのことを褒めちぎる。それはいかに彼ら自身が、野球に対して真剣に打ち込んできたかということを指し示しているようにも見えた。

「でもね、家族は辛かったと思うんですよ」

 将人さんは少し悲しそうな表情で振り返る。鹿嶋から早実の練習グラウンドがある南大沢までは途轍もなく距離があり、遊斗さんや栄登くんが在籍した東海大相模のグラウンドがある相模原となると更に遠くなる。将人さんは大学進学後に野球を辞め、現在は会社員として都内で働き、遊斗さんも野球からは身を引いているのだという。そのような中で、家族がバラバラになりかけた時期もあった。将人さんはその過去を振り返っていた。

 本人の希望により、このエピソードを公開することはできないが、磯網家にとってもそれは辛く悲しいことだったのだなと、強く感じた。何よりも家族同士で顔を合わせる時間はどんどん減っていく。それも高校から寮に入れば尚更だ。

「でもね、そんな中で家族を再び繋げたのが栄登だったんです」

 将人さんはそう打ち明けた。

 磯網家は毎年甲子園になると家族の応援のために集合するという。それがライフワークとなっていたのだとか。強豪校での練習が重なると、どうしてもスケジュールを合わせることが難しくなる。そのような中で、高校野球という一つのイベントが家族を繋げるものとなっていたらしい。

「兄たちを越したい!」

 磯網兄弟という大きなレッテルとプレッシャーを跳ね除けるような宣言を大会前から何度も繰り返していたという。

 それは最高級の親孝行であり、兄たちへの孝行でもあった。そしてそれが、家族を一つに繋げた。

 神奈川県大会で不振を極めたバッティングを見直し、甲子園では12安打を記録し打率は6割。チーム事情により、本来の三塁手ではなく一塁手としてプレーしたが、無難にこなし大役を果たした。

「栄登のおかげなんです。あいつのおかげで、家族が一つになれました。父と母は、毎試合西宮まで車で応援に駆けつけていましたからね。まあ、自分もですけど」

 遊斗さんはバッティンググローブをプレゼントし、将人さんも甲子園球場に足を運んだ。

「もう、ヒット一本一本ですよ。本当に感動しちゃって」

 一つの出来事に大きく感動し、家族が家族であることを確認しあうことができた磯網家。その輪を繋いだのは、紛れもなく彼だった。そして、東海大相模というチームにおいても多大なる貢献をもたらしたことは言うまでもないだろう。

 クーラーによってオーダーしたホットコーヒーも冷めた。将人さんが頼んだアイスコーヒーの氷もゆっくりと溶け始めていた。栄登くんのことを弟として可愛がり、そして尊敬している将人さん。優勝は嬉しいんだけどなあ、と笑いながら、こう言った。

「甲子園の度に、家族が集合していたんですけどね。次会えるのは、いつになるのかなあ」

 寂しそうに笑った将人さん。甲子園は人を成長させ、子供を大人にさせる。自身が通ってきた道だからこそ、まだまだあどけない栄登くんが大人になって欲しくないなと思っていたのかもしれない。

 素敵な物語を語ってくれたお礼に、コーヒーは奢ることにした。それが、私からできる最大限のお礼だった。

 それから季節が過ぎて秋。

 所用があり、将人さんの自宅にお邪魔したときのことだ。国体を控えた栄登くんが遊びに来ていた。お疲れ様でした、と伝えるとはにかみながら「ありがとうございます」と返した表情は、将人さんとよく似ていた。妹と同い年であることを伝えると、少しばかり驚いていたのも、印象深い。

 セレクションが控えていた栄登くんは、練習不足であったことが不安だったのだろう、一通り雑談が終わると、将人さんに声をかけた。

「ねえ兄ちゃん、キャッチボールやろうよ」

 その時、私は思った。なんだ、また集まれるじゃないか。栄登くんがつないでくれた家族の轍は、もう決して壊れることはないだろうと、私は思ったのだった。

 なお、栄登くんは高校卒業後に国際武道大学へ進学。1年生ながら早くも試合に出場して活躍しているという。彼が今後、どのような道を進むのかは分からないが、一人のファンとして私はこれからも彼のことを追い続けていきたいと思っている。

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