殴るぞ

色々と思いっきり話します。

斎藤佑樹「まだ彼が主役でないときに」

 その日、何度日大三のチャンステーマを聴いただろうか。最初に聴いたのは一回の表、先頭の荒木郁弥がスリーベースを放ったことからだった。いきなり先取点のピンチ。その年の日大三は圧倒的な攻撃力を売りにしたチームだった。それで春には関東大会も制している。2003年からは西東京大会3連覇。文字通りの敵なし状態だった日大三。懸案事項は絶対的なエースがいないこと。それだけに、6点ほどを早い段階で選手できれば試合は日大三になるだろうと思っていた。

 しかし、この年にはその勢いを食い止めるのではないかと期待された投手がいた。それが早実斎藤佑樹、彼だった。西東京どころか東京都内でもナンバーワン投手として目されていた斎藤。春には選抜で岡山の関西高校相手に熱い戦いを繰り広げたことで名を知られている。後に早稲田大学の先輩となる佐竹功年をまねた、あの投球フォームにスタイルチェンジした斎藤は、いきなり先制のピンチを招く。2番の小林要介こそ三振に切って取るものの、3番佐藤健太の打席でセカンドゴロを内藤が弾いて、三塁ランナーが生還。先制点を取られてしまう。

 4番の田中洋平にも連続してタイムリスリーベースを打たれるなど、いきなり苦しい立ち上がり。早実には強力打線の日大三相手に太刀打ちできるのは斎藤しかいない。崩れたら負ける。その後満塁のピンチになり、その日一回目となるチャンステーマを聴くこととなった。

 1回だけで32球。当初からスタミナには定評のある「ハンカチ王子」でも日大三の打線を食い止めることができないのか。2回裏に早実が5番の船橋悠のスリーベースからチャンスを作ると、6番の斎藤がピッチャーゴロで1点こそ返した。しかし、次の回の攻撃で7番の池永周平がタイムリーを放ち突き放す。日大三西東京大会4連覇の兆しが、見え始めていた。しかし、やはり不安はあった。背番号1を付けた村橋勇祐は序盤こそ安定した投球を見せていたものの、回を追うごとに制球が不安定になっていく。3,4回こそ無失点で抑えるも、3回は12球で4回は22球も投げた村橋。早実も村橋対策は万全と言わんばかりに投球を見せると、5回表には早実が攻めたててマウンドから引きずりおろす。

 序盤で3点を先取されていた早実も中盤になると斎藤が安定し始める。4回にはランナーが三塁にいる状況で、その日三度目のチャンステーマ。しかし、5番に座った田中一徳をショートゴロに切って取って、何とか乗り切ると、流れは日大三から早実へと傾き始めていたのだろう。

 さて、村橋に代わってセンターのポジションからマウンドに登った田中一は、春の大会でも投げていた控え投手である。この試合では、毎回ランナーを出す苦しい投球に。5回にはタイムリーエラーが飛び出してしまい、6回には斎藤から作ったチャンスで8番の白川栄聖のスクイズ成功で、それぞれ1点を奪われたことにより、同点に追いつかれてしまう。それ以降も毎回ランナーを出す苦しい投球にはなったが、守備が苦しむ田中一を盛り立てていた。

 一方で斎藤は投球数が100球近くなってきてから、急激に安定し始める。コントロール、直球の走り、球威。当時の神宮球場にはスピードガンによる球速表示がされていなかったので球速は定かではない。しかし、おそらく140キロ中盤は出ていたのではないだろうか。定評通りのピッチングを見せ始めた斎藤に、一時的に日大三のチャンステーマも球場には響かなくなる。

 試合が再び動き始めたのは、9回表。それまで再三ピンチを作っていた日大三が2番・小林のヒットを皮切りに、3番・佐藤のヒットで勝ち越しのチャンスを作り出す。しかし、四番・田中洋平がキャッチャーのファウルフライ、5番・田中一徳は三振。それでも斎藤の牙城を崩すには叶わない。

 その裏に早実も3番の檜垣皓次朗のヒットによりチャンスを作り、1アウト満塁と一打サヨナラのチャンスこそ作るが、6番の斎藤がサードゴロ、7番の小沢秀志がライトフライに抑えられ、チャンスを活かすことができない。ピンチの後にはチャンスありとはまさしくこのことか。早実に絶体絶命となるピンチが待っていたのは次の回だった。途中からセンターに下がっていた6番・村橋のライト前ヒットによりランナーが出ると、7番・池永周平はフォアボールを選び、途中出場していた岩間聖悟がバントの構えを見せる。この試合、度々鋭いフィールディングを見せていた斎藤は、投手前に転がった打球を迷うことなく三塁へ送球する。

 だが、打球は早実三塁手・小柳竜巳のグローブには入らず転がっていく。

 村橋が帰り勝ち越し。なおもノーアウト。9番の大原新平にバントを決められてワンアウト2塁3塁。打席は今日2安打のトップバッター・荒木。いきなり先頭打者でスリーベースを打たれた相手に、構うことなく真っ向勝負。高めのストレートを振らせて三振に打ち取るも、2番の小林には手痛い死球を受ける。延々と鳴りやまない日大三のチャンステーマ。しかし、それは攻め急いで焦っているようにも見えた。斎藤は気合十分にバットを回して打席に入った佐藤をショートゴロに打ち取ってピンチを脱出したのだから。

 その裏、代打で起用されたのは内野手の神田雄二。女房役の白川英聖が三振を喫し、敗色濃厚となった試合の流れ。それを断ち切るような打席。センター前へのライナーは、村橋が打球の目測を誤り突っ込んだことにより二塁打となってしまう。再び息を吹き返した早実は、1番川西啓介のタイムリーツーベースにより再び同点に追いついた。

 延長11回は2アウトからその村橋がチャンスを作り出すも、斎藤に粘り切られてしまう。互いにチャンスを作り、そこから決めきれずに苦しんだシーソーゲームはその裏に勝負を決することとなる。

 11回を投げて221球。チャンステーマを聴いたのは半分の5回。斎藤佑樹がこの試合で投じた球数だ。まだ、西東京地区の好投手・斎藤くんだった彼が、「ハンカチ王子・斎藤」に化ける前の試合。しかし、その絶体絶命のピンチをいくつも切り抜けていく中で、彼は確実に覚醒を遂げていたように思う。そして、野球の神様は決めたのかもしれない。

「彼こそ主役にふさわしい」と。見初められた彼はやがてそのままハンカチ王子と持て囃されるようになり、決勝戦マー君と相まみえ、影響力の強いスター選手として全国区へとなっていった。西東京の斎藤くんから、彼はあっという間にそのスターへの道を駆けあがって行った。

 先日の先発登板では4回5失点と良いところがなかった斎藤。早稲田大学へと進学し、4年間を経ていく中で彼の神がかり的な力は徐々に失われているのだろうか。

 それでも、と思う。彼ならきっとやってくれるのではないかとまだ期待している自分がいる。バカと思われるかもしれないが。

 今日は7月30日。あの熱戦から早くも10年になる。

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