殴るぞ

色々と思いっきり話します。

バグンサ・オルガニザータ

 サッカーとは野球ではなく、サッカーである。バスケットボールでは決してないし、ハンドボールにもバレーボールにもなりえない。当たり前のことを言っているようで、実はぼく個人としてはそれを分かっていないのは何より日本人ではないのかと考えている。そして、その技量に溺れることで日本サッカーを弱体させているのは、本田圭佑であり香川真司なのかもしれない。ザッケローニやアギーレがその能力ゆえに御しれなかったその「最低限の約束」をヴァヒト・ハリルホジッチは彼らにも植え付けることができるのかどうかにかかっている。

 世界のサッカーは大きく変わっている。まず、運動量。全員が守り、全員が攻める。何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれない。けれど、少なくとも本田圭佑岡崎慎司のような守備をしているだろうか。香川真司長谷部誠のように懸命に走っているだろうか。ポジションや所属クラブの違いはあったとしても。それはスペイン代表であろうとブラジル代表であろうと変わりはない。今世界のサッカー選手で「走らなくていい」という特権があるのはクリスティアーノ・ロナウドリオネル・メッシくらいなもの。

 それは、最低限「守備ができなければ、世界では勝つことができない」ということと裏返しでもある。それはFCバルセロナの全盛期だった時代とも関連している。バルサの流麗なサッカーに誰もが惚れたように、多くの指導者がそれを真似ようと躍起になった。しかし、真似たのは表面的な部分だけ。理解しようとしたら、たかだか一回のセミナーや試合だけでできるものではない。そして、本質はパスであってパスではない。ボールを奪い返すことこそが本質である。何より、育成年代で守備よりも攻撃力の高いタレントがもてはやされるようになった時期でもあり、守備のできるタレントがあまり出てこなくなった時期とも重なる。全員が全員、それに酔いしれて半分洗脳されているかのようでもあった。改めて、守備の大切さを痛感することとなってしまったのだった。

 バグンサ・オルガニザータという言葉がある。ブラジルの言葉で「混沌と秩序」を意味する言葉だ。決して四角四面な秩序だったサッカーは柔軟な発想に欠けて面白みがない。だが、そこには秩序があるから選手の意思統一はしやすい。トルシエや岡ちゃんはそうだった。だが、結果として日本代表はベスト16にまで進出した。ゆえに混沌を選択すると、柔軟な発想とアドリブ力で創造的で面白いサッカーをすることはできる。だが、ジーコザッケローニはそれで結果を残したのかどうか。結果としてそこには秩序がなかった。そして、グループリーグで敗退をすることとなった。

 この違いはなんだろうか。強いてあげるなら。譜面の中にある音を正確に読み取るだけでなくアレンジができる力。しかし、そのためには楽譜を正確に読む力が必要なのだ。楽譜を読むことは基本中の基本だ。そして、その基本は「秩序」だ。

 ハリルホジッチは「秩序」を重んじる監督だ。決して混沌は好まないだろう。だが、同時に選手のことを思いやることができる監督でもある。秩序がなくなった日本代表は再びこの世界に秩序を入れねばならない。そして、そこから生まれる「混沌」を丁寧に掬っていかなければいけない。決して、もう失敗は許されない。それだけ難しい仕事をハリルホジッチは託されることとなる。果たして、そのタスクを達成することができるのかどうか。難しく、厳しい代表監督の船出となりそうだ。