殴るぞ

色々と思いっきり話します。

カズが教えてくれる大切なこと

 喜びのカズダンスをまた見ることができるとは思っていなかった。言うまでもなく、日本サッカー界のレジェンドである三浦知良のことである。48にもなっていれば、もう第一線からは退いて、悠々自適な生活を送っていても不思議ではない。プロスポーツはそういう世界だ。しかし、カズは未だに現役選手としてピッチを駆け巡っている。

 もう、ヴェルディの時に見せていたあの突破力はもうない。代表に呼ばれたのはもう15年も前の話だ。それでもカズは現役にこだわり続け、試合に出続けている。そして、ゴールを奪った。自分がまだ健在であることをアピールするために。一般的に見てもスポーツ選手としての寿命は短い。だが、カズはまだピッチに立ち続けている。

 思うに、カズは「心が若い」のかもしれない。身体能力は衰えて、昔のように上手くプレーできないことは十分に自覚しているはず。それすら、楽しんでいるようにも見えるのだ。体の衰えを読みでカバーする。若い頃にはなかった「キングカズ」としての絶対的存在感。工夫してサッカーを楽しむことでいっぱいなのだと思ってしまうくらいに。

 近年、多くのベテラン選手がスポーツ界では活躍している。山本昌や工藤、テニスだと伊達公子もそうだ。旭天鵬も力士としては非常に寿命が長く、41となる今年になっても怪我が少ない力士としても知られる。サッカーに目を向けても、中澤佑二楢崎正剛が未だに現役としてバリバリやっている。医療が発達して、選手たちの寿命が長くなったという論評も頷ける。

 では、心が若い人の定義とはなんだろうか。そこには「その競技をどこまで愛しているか」ということに尽きると思う。「好き」ではなく「愛している」が大事なのだ。実は好きと愛しているは似て非なるものでもある。好きというのはその人の感情はそこで終わり。だが、愛しているは好きであるだけでなく、そのためにどうしたら良いのかを考える。考えてプレーする選手は長く生き残ることができる。自分ができる事を懸命に模索することができるから。たとえどんなに「好きなこと」でも嫌な場面には直面するもの。それから眼をそらすことはできる。だが、逸した時点で「愛している」という定義は外れてしまう。

 カズのサッカー経歴になぞってみよう。ブラジルでは試合に干された時期もあった。日本に戻ってきても苦悩は続いた。怪我に苦しみ、イタリアでは出場機会も奪われ、フランスワールドカップでは直前で外された。クロアチアでも十分な出場機会を得たとは言い難いし、現在の横浜FCでも十分な結果を得ているとは言い難い。だが、カズはそれでもサッカーを続けている。それは単純にサッカーを愛しているからに他ならない。好きだけでは続かない。そこに愛があるからこそ、続けることができると言える。何事もそうではないだろうか。

 翻ってぼくたちの日常生活はどうだろう。ぼくらは働くことで金を得て、その金を使用することで生活している。その仕事は決して好きな仕事ではないのかもしれない。ぼく自身、今の仕事が面白いとは思わない。だが、そこで文句を言って何もしなければ、心は年老いていくだけで終わる。そこで歯を食いしばって頑張ることができるのかどうか。48になったカズは、身をもってぼくたちに教えてくれている。辛くてもそこでめげずに挑んだカズは、だからこそ心が若い。そして、日本中のサッカー好きから尊敬されている。