殴るぞ

色々と思いっきり話します。

記憶と記録に残った飛坂篤恭の走り

 ものすごい形相で、逃げる早稲田を追い詰める選手がいた。東洋大学が初の総合優勝を達成した時に区間賞を獲得した飛坂篤恭である。その形相の割にきっちりと冷静なレースを展開していたのも、また印象深い。この年の東洋大学は、優勝候補と呼ばれた早稲田をきっちりと叩いてみせたことが印象的だった。どちらかといえば、絶対的エースを軸とした粘りのある走り。前年までの才能はあれどシード権ギリギリのチームとは打って変わって「強い」チームへと変貌を遂げた大会でもあった。そこにいたのは、絶対的エースに隠れた脇役の「味のある」走りだったことを忘れてはいけない。その筆頭が飛坂だった。区間賞獲得のインタビューでの優しそうな表情も忘れられない。

 大学時代に目立った実績がある選手ではなく、駅伝では2年時に1度と直近の全日本駅伝で1度。タイムも決して早いタイムではなく、ハーフマラソンも1時間4分台と良くも悪くもこれといったものがない。ただ、勝負強くメンタル面で崩れない部分があることと、競り合いの強さが武器の気持ちで走るタイプのランナー。負けず嫌いでチームのムードメーカーでもある。そんな彼が真価を発揮したのが第85回の箱根駅伝だった。

 この年の東洋大学はそもそも出場が危ぶまれた大会であった。大会直前の不祥事により川嶋伸次駅伝監督が辞任、佐藤尚氏が監督代行として指揮を執るという異例の事態であった。バラバラになってもおかしくない状況で、エース大西とルーキー柏原の活躍で往路優勝を成し遂げる。6区で前大会区間賞の加藤に追い抜かれたものの、加藤の走りが低調であったことも相まってタイム差は思った以上に広がらずに7区で飛坂がたすきを受けることとなった。序盤抑え目、終盤で詰めるというのが駅伝での定石ではあるが、果たしてそれが実行できるかどうかは考えものである。それを実践して、13秒差までに詰めた気迫の走りは8区での逆転勝利につながっていくこととなる。

 この大会で東洋大学は初となる駅伝総合優勝を達成するが、まだこの頃は柏原のチームではなかったように思える。競り合いに強い粘り強いチームカラー。昔ながらの「駅伝」のチームとも言えた。だが、東洋はこの駅伝以降「柏原のチーム」になっていく。4区まででリードを作られても、柏原が作ったタイム差を貯金として逃げ切るレース。今のトレンドとも言える「先行逃げ切り型」の典型的チームとなっていくのだが、その一方で失ったものも大きいように思える。この先行逃げ切り型チームは競り合いに弱く、力のあるランナーが真価を発揮しないままでいると、巻き返しがきつくなるのだ。むしろ「力のあるランナー」に依存しすぎた結果であるとも言える。

 それで勝てるのであれば異論はないが、今回の全日本駅伝でわずかだが決して小さくない綻びを見せ始めたのもまた事実である。飛坂は実業団に入社後、あまり力を発揮しないまま2012年に引退したようだ。しかし、もし東洋が箱根で優勝するのであれば、その脇役がしっかりと走らねば優勝はない。これは断言していい。

 5000メートルのトラックでタイムをたたき出せなくても、一度の活躍で印象に残るのは箱根駅伝のいいところでもある。飛坂はまさに典型的な選手であった。そして、今の東洋大学絶対王者として君臨するためには欠かすことのできなかった選手であると思う。