殴るぞ

色々と思いっきり話します。

森崎浩司「It's Happy Line」

 サンフレッチェの象徴が、スパイクを脱ぐ時が来た。森崎浩司サンフレッチェ広島を代表する森崎兄弟の弟で、チームを代表するプレイヤーである。その才能をかつて同僚だった柏木陽介は、このように語っている。「浦和に移籍した後も含め、あれほど上手い選手は見たことがない」。李忠成槙野智章西川周作もその意見に賛同する。日本代表に招集されても何ら不思議ではない選手だった。それは間違いないし、彼を知る人からすればそれもうなずけるはずだ。

 左利きのテクニシャンで、強烈なシュートとキックの精度を持ったプレイヤーだった。兄の和幸と並んで長年サンフレッチェの屋台骨を支え続け、和幸が鈴木啓太今野泰幸に代表のレギュラーを奪われていく中でも、彼はアテネオリンピックの日本代表として活躍していた。才能はあった。紛れもなく。

 だが、彼は日本代表という舞台に立つことは、無かった。

 慢性疲労症候群、オーバートレーニング症候群という病気をご存知の方も多いだろう。兄の和幸も2006年に罹患した病気は、浩司にも襲い掛かった。真面目な性格である彼は一センチでもパスが乱れることを嫌っていた。そんな真面目さゆえに、彼に大きなストレスとなってしまったことは想像に難くない。

 症状の重大さから、兄の和幸は「普通の生活に戻ってくれれば」とコメントするのが精いっぱいだった。体はどこも悪くないはずなのに、目がかすみ、焦点がぼやけたまま。新聞の文字が揺れて見える。言葉が耳に入っても、その意味が頭に入らない。身体を起こすことも困難になり、喜怒哀楽の感情もなくなった。眠れない。動悸が激しい。立ちくらみもある。手足が冷たい。

 選手生命どころか、日常生活にまで支障を来すこの病気。肉体的および精神的なストレスによって引き起こされると言われるこの病気。サッカー選手としてはあまりにも致命的な病気であったのだ。現にこれが原因となって現役を引退した選手もいたほどだからだ。

 恐らくは、彼がサンフレッチェ広島の選手でなければ現役をもっと早くに退いていてもおかしくはなかっただろう。しかし、その才能を待っていてくれた指揮官が二人いた。

 ミハイロ・ペトロヴィッチ森保一である。

 ミシャは戦列を離れている間もずっと「大丈夫」と、電話口で日本語で励まし続けていたという。兄と同時期に戦列を離れていたときには、選手たちとの食事会に誘って、選手たちの前でこのように紹介した。

「最高の選手を補強した。森崎和幸森崎浩司だ」

 温かく迎えたチームメートはもちろんだが、指揮官の言葉には嘘偽りなど一切なかったはずだろう。事実、戦列に復帰した後も中心選手として活躍し、サンフレッチェJリーグ優勝にも貢献することとなったからだ。

 しかし、浩司のオーバートレーニング症候群はまたもや彼に襲い掛かっていた。元々バーンアウト症候群にもかかったことのある彼なので、メンタル的にも大きなモチベーションに左右されがちなのだろう。

 どん底の状態にあった浩司を救ったのは、森保だった。

「いつでも待っているからな」と彼に伝えていた森保は、浩司の早朝ランニングに付き合い、メンタル的にギリギリの状態になっていた彼のことを最後まで支え続けていた。元々アシスタントコーチと選手であったが故に深い仲であったこと。そして、サンフレッチェの背番号7を付けた者同士、相通ずるものがきっとあったのだろう。練習で手を抜かず、難病にも立ち向かう彼を最後まで支えたのは他ならぬ森保という人物だからに他ならない。

 だからこそ、浩司は自分のサッカー人生を誇りに思っているようだ。

「僕はたくさんの人に恵まれました。クラブのみなさんやチームメイト、家族、僕をどんな時も待ってくれているサポーター。そして、ミシャと森保監督。感謝という言葉以外には、見つかりません」

 仮にバロンドールを獲得したとしても、どれだけ多くの大金を獲得したとしても。人から愛されることというのはそれ以上に代えがたいものではないだろうか。

「これからの彼の人生のことについて言えば、どんな困難や壁に立ちふさがれようが、それを乗り越えていけると思う。自分らしく受け止めながら、苦しいこともやり過ごしていける力を身につけてきたと思う」

 森保はそう労った。義理堅く真面目な森崎を。

 その背中にサポーターはどれだけの勇気をもらっただろう。後輩選手たちはプロとしてのあり方を学んだに違いない。選手としての物語の終焉が近づく中で、きっとまた紫熊のチームに彼が返ってくることを皆が祈り、楽しみにしているだろう。

 帰る場所がある人は、いつだって幸せだ。多くの人たちが一時的にでもその別れを惜しんで、涙するからだ。

「泣けるというのは素晴らしいんですよ。僕には、泣くことすらできない時期があったから」

 そう語った彼の新しい物語が始まるのも、あと少しだ。その物語が、限りなく幸せに満ちていることを私は心から祈っている。

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