殴るぞ

色々と思いっきり話します。

ピッチに神は要らぬ

 リオネル・メッシはまるで、異次元の世界へ達しているように見える。コパ・アメリカのMVP受賞辞退についてだ。クラブでの充実したシーズンを終えて、アルゼンチン代表のユニフォームに袖を通した。しかし、今回も無冠に終わった。ブラジルワールドカップでMVP受賞したが、物議を醸した。それを考慮したのかもしれないが、私たちが想像しえない世界にいるような。そういう雰囲気を出しているような気がしてならないのだ。

 何分、メッシは全てを手に入れた。多くの選手がベストを尽くしても手に入るかどうかわからないバロンドールUEFAチャンピオンズリーグ優勝。FCバルセロナというクラブで手に入れた多くの栄冠と個人タイトル。背番号10にふさわしいだけのボールテクニック。ドリブル・パス・シュート。メッシはなんでもできてしまう。それとは裏腹に、進化していく過程の中で他の追随を許さぬほどの差をつけていたのだ。クリスティアーノ・ロナウドネイマール。誰もメッシを越えるほどの影響力と才覚を持っていない。影響力という点ではクリスティアーノ・ロナウドもあるにはあるが、彼の場合は悪い影響も大いに与えてしまうことが多々ある。

 なおかつ、メッシは真面目だ。めったにメディアへと出てくることもない上に、プライベートでの隠し子騒動や審判への暴言、ルイス・スアレスのような噛みつき事件でさえも起こさないほどだ。自分自身の状態を見ながらプレーすることもできており、今シーズンにアシストの数が増加したのもそれが要因だろう。

 しかしだ。いつの頃からかメッシは手を抜くようになってしまった。本気を出してしまえば、自分に勝てる選手はいなくなるから。一瞬だけ本気を出してしまえば、それが勝利へとつながる。そして、メッシは人間性がなくなった。まるで天から地を見下ろす神となったかのような振る舞いにも見える。謎の嘔吐も脱税疑惑でさえも。凡人である我々からすれば大人しいメッシの性格も相まって気味が悪く見えるだけだ。

 なおかつ、ワールドカップでさえもMVPを受賞した。最初からコパ・アメリカのMVPなど彼にとっては不要だったのだろう。なおかつ、代表で活躍できなかったからと言って彼の評価が下がるわけではない。ゆえに、負けても挫折とはならない。バルサでもエル・ドリームチームを越える栄冠を手にし、近年は代表でも結果を残しているのだから。無冠とはいえ、主要国際大会で準優勝2度というのはそれを裏付けている。もしかしたら、それはメッシにとってどうでもいいことなのかもしれない。手に入れた栄冠と誰も自分に追いつけないという自覚に満たされているから。それは我々凡人が想像できない「神の領域」とも言えるからだ。

 到底理解しがたい世界である。「神・メッシ」はその景色を見て何を感じているのだろうか。誰も届かないその領域に立った彼に見えているもの。理解しがたく、想像しがたい世界をメッシは今見続けているのだ。

 明日、メッシがサッカーを辞めると発表しても。決して驚くことではない。ライバルすら到達しえないその世界。それに飽きて、スパイクを脱ぐ決断をしても不思議なことではないだろう。彼にとってサッカーとは何なのだろうか。頂を極めてもなお、彼のキャリアは続いていく。肉体的な衰えが始まり、それを理由に引退を決意するまでは。毎シーズン超人的な成績を残しながらも、それでも彼はピッチに立ち続けなければならない。そして、競う相手がいないのだから。嫌気が差しても、何一つ不思議ではないだろう。

 そうしたらもう、神となったメッシを見る必要がなくなるかもしれない。人間に戻ったレオ・メッシを。そちらのほうがはるかに健全で、ぼくは安堵する。ただ、その超人的なプレーをもっと見たい。そういう衝動に駆られてしまう。だからこそ、思うのだ。

 ピッチ上に神などいらないと。サッカーに必要なのは、ボールと人間だけだ。