殴るぞ

色々と思いっきり話します。

【追悼】モハメド・アリ「アウトレイジ」

 私の大叔父にトクおじさんと呼ばれた人がいる。もう亡くなって10年近くなるが、彼は反戦運動家だった。「アメリカはベトナムから手を引け」というゼッケンを付けて、1965年4月5日から1973年6月13日まで。彼はゼッケンをつけ続けたのだ。酔った勢いで宣言してしまったその言葉。当初は恥じらいもあったそうだが、それが彼のライフワークともなっていったのだった。そんな大叔父は、戦争をひどく憎んでいたのだという。

 カシアス・クレイもそうだったのだろうか。いや、モハメド・アリと呼ぶのが正しい呼び方か。彼もまた、戦争を憎んでいたからこそ兵役を拒否したのだろうか。しかしそこには、当時のアメリカに見えていた黒人差別が見え隠れしていたようにも思えるのだ。アリは確かな怒りを、アメリカにそして世界に抱いていたのだろう。蝶のように舞い、蜂のように刺す。エレガントなボクシングを見せていたアリが生きていた時代は、黒人差別が平然と行われていても誰も怒らなかった時期だった。

「ベトコンはオレを”ニガー”と呼ばない。彼らには何の恨みも憎しみもない。殺す理由もない」

 政治的な発言と行動を起こしたアリに待っていたのは、手に入れたボクシングの世界タイトルはく奪と懲役刑。しかし、アメリカ政府からの圧力にも一切屈さず、自らの罪を無実であることを証明したアリは、3年7か月というブランクにも関わらず再び世界のトップへと舞い戻った。思うにそこには、カシアス・クレイという人間として認められなかった怒りが全てそうさせていたのかもしれない。

 18歳の時に獲得した金メダル。それは紛れもなく「カシアス・クレイ」という名前で獲得した一つの栄冠だった。しかし、彼は黒人だった。「ニガーはレストランに入ってくるな!」という言葉。アメリカを代表して金メダルを獲得した人物に対して、あまりにも冷酷すぎる仕打ち。しかし、それが日常だった。ニガーと言う言葉を平然と使っても許されていた時代。だからこそ、カシアスは金メダルを投げ捨てた。カシアスが抱いた怒りは、彼の意思と才能を大きく羽ばたかせるエネルギーとして昇華された。そして彼は、モハメド・アリという一つのアイデンティティを生み出すことで、自らをそして黒人という人種を認めさせるもう一つの戦いへと身を投じていくこととなった。

 話は変わるが、大叔父の兄弟で戦地から帰国できたのは祖父だけだった。長兄と次兄に当たる人物は戦地で死去し、大工の棟梁をしていた曽祖父は米軍のジープに轢かれて亡くなった。皆が皆、戦争によって辛い思いをしてきた。大叔父はそれが許せなかった。だからこそ、戦争への怒りがあった。それはゼッケンという抗議活動で形にしたのかもしれない。温和な祖父でさえ、戦争のことを話したがらないのは、怒りがそこにはあったのかもしれない。

 繰り返すが、アリがそうだったかどうかというのは分からない。今となっては確証すらない。だが、自らのキャリアを全て犠牲にしても良いという覚悟を持って戦いに身を投じた彼は、傍から見ればただの愚か者のように映ったことだろう。しかし、彼がアクションを起こしたおかげで(最も大きな貢献をしたのはマルコム・Xやキング牧師であることは言うまでもないが)、多くの黒人アスリートたちがリスペクトされる土壌ができたことは言うまでもないだろう。ジャッキー・ロビンソンという偉大なる存在をもってしても、解消することができなかった差別意識さえも消し去ってしまったかのように。

 あの「問題児」として知られるフロイド・メイウェザー・ジュニアやNBAのスーパースターである、レブロン・ジェームズ。現在アメリカで最も注目を集めるWBC世界ヘビー級王者のテオンデイ・ワイルダーに至るまで。それだけではない。かつてあれほど敵に回していたアメリカの長でさえもその死を悼んだのだ。彼の怒りは、世界を変えた。忌み嫌われていた黒人の目を変えたのは、まさしくモハメド・アリだった。トクおじさんも、そうだったのではないだろうか。彼の怒りは、燻っていた戦争という憎しみを大きな火にさせたのだから。

 モハメド・アリが亡くなったという報道を聞いたとき、不意にかつて反戦運動していた大叔父を思い出した。私は直接、モハメド・アリの試合を見たわけではない。パーキンソン病の震えに苦しみながら聖火を点灯させたとき、私はまだ6歳だった。大叔父の反戦運動を直に見ていたわけではない。だから、この文の内容というのは全て私の想像でしかないのだ。

 そして、思いを馳せる。モハメド・アリはこのボクシング界を、今の戦争ばかりが続く悲しい世界をどう思いながらこの世を去ったのだろうか。トクおじさんはこの世界をどう感じているのだろうか。それを聞く機会もないまま、この世を去ってしまったのが、無念でならない。

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