殴るぞ

色々と思いっきり話します。

遠藤保仁に残された時間で求められているもの

 遠藤保仁を見るとつくづく思うのだ。自然体だなあと。本当にマイペースで何事にも動じない。だが、彼はいつもトップレベルにいる選手ではなかったのだ。それだけの能力があるにも関わらずだ。三兄弟の末っ子として育った遠藤は鹿児島では「遠藤三兄弟」として有名だった。長兄の拓哉は類まれなるファンタジスタ。次兄の彰弘は運動量が豊富なハードワーカー。保仁本人と比べるとあまりにも接点のないポジションにも思える。

 そして、三兄弟の末っ子でもあった彼は兄と同じように鹿児島実業高校に入学する。理由は簡単で「二人の兄が行っていたから」。ハードな練習で知られる鹿実のサッカー部でも要領よく、マイペース。だが、誰にも乱されず控えめであったからこそ。先頭に立って引っ張るプレーヤーでなかったからこそ、誰よりも展開を読むことに長けたプレーヤーとなっていったのではないだろうか。

 柴崎岳と違うところを挙げるとするならば、やはりその世代のレベルの高さだろうか。柴崎は高校時代から突出した存在であり、プロでもすぐに注目された。翻って見ると遠藤はそうではなかった。同年代にいる選手は軒並みトップクラスの選手ばかり。稲本潤一小野伸二高原直泰中村俊輔は一学年先輩にあたり、小笠原満男中田浩二本山雅志加地亮までいる。ちょっと学年が先輩になると三都主もいたのだから、本当にものすごい世代だった。

 だが、活躍こそせずとも遠藤の戦術眼とテクニックは徐々に磨かれていった。横浜フリューゲルスで1年弱とは言えFCバルセロナのエッセンスを注入され、京都パープルサンガではパク・チソン松井大輔らと攻撃陣を支えた。ガンバ大阪ではアラウージョマグノ・アウベスのような外人選手に加えて、二川のような類まれなるテクニックを持つ選手たちとその技術を磨き続けたのだ。むしろ彼の能力はフィジカルが衰えつつある現在でも、着実に進化すらしているようにも思える。

 だが、誰よりも柴崎がこの遠藤とポジションを争わなければいけない。たった一人、34にして未だ抜くことができずにいるその大きな壁を、果たして柴崎が抜くことができるのだろうか。誰よりも遠藤はメンタルが強く、試合を見る目がある。試合のリズムを作り出し、チームに活気を与える司令塔だ。本田圭佑がなぜ日本代表で活躍をすることができるのか。それは遠藤保仁という優れた司令塔がいるからだ。日本代表のサッカーは遠藤保仁のサッカーだ。そう言い切ってもいいほど、遠藤のコントロールする力は優れているのだから。それを越えているのは、チャビ・エルナンデスアンドレア・ピルロくらいなものだろう。彼らを越えるのは、それだけ高い壁があるということでもある。

 そして選手として終わりが近づき始めた遠藤には、今の立場だからこそ残していかなければいけないものが多く残っている。これもまた、事実なのである。その経験を実績を。彼のプレーやパスは雄弁に語っている。その生き様を柴崎岳に植え付けることも、また彼に課された義務であるように感じている。

 黄金世代、決して彼は注目された存在ではなかった。今は柴崎岳が突出しているとはいえ、いつか彼を追い抜いてくる同年代の選手が出てくるかもしれない。気がついたら彼は国際Aマッチで148試合も出場していた。柴崎に危機感を与え、そして自身の経験も与える。そして、競争には負けない。35歳になる「プレーヤー」遠藤保仁にはまだまだ働いてもらわねば困るのだ。