殴るぞ

色々と思いっきり話します。

やりたいこととできること

 アジアカップ前哨戦とも言えるオーストラリアとの対決。日本のライバルになるであろう開催国でもあるオーストラリアは若手をあえて使って健闘した。それでも前線の核はケーヒルであることに変わりはないのだが。とは言っても、若手選手も欧州に在籍する選手も多く、アジアでは数少ない欧州を感じることのできる相手でもある。だけに、アギーレ体制の試合で試金石となる一戦でもある。

 アギーレはこの試合、2つの戦術をテストした。それは、アギーレがやりたい戦術と現状できる戦術の2つ。そして、そこに見えたのはリアリストとしてのアギーレだった。

 

 前半、長谷部をアンカーに据えた4-1-2-3で試合に臨んだ日本代表だったが、案の定オーストラリアに長谷部横のスペースを使われて大苦戦を強いられた。遠藤は南アフリカインサイドハーフも務めたが、どちらかといえばゲームを作る立場のプレーヤー。香川はより前でプレーするのを得意とする。スキルはあれど、現状この戦術は「やりたい」戦術ではあっても「できない」戦術だった。結局、アギーレは4-2-3-1というブラジルワールドカップでの形に戻す。トップ下には香川が入り、自由に動き回る彼らしい本来のプレーを見せたことで、前線が躍動し始めた。ザッケローニ時代の「遺産」とも言えるプレーは「やりたくない」戦術であっても現状「できる」戦術なのだろう。

 後半の頭から遠藤に変えて今野を入れる。キープするより、ボールを奪うことをマインドに置きたかったのだろう。武藤に変えて乾を投入したことも、監督として試合をどうしたいかという意図が見える采配でもあった。それが功を奏したのかは分からないが、交代選手が活躍したことにも意味はあると思う。良くも悪くも彼は教科書通りの采配で試合の流れを変えたところに、もしかしたらアギーレという監督を呼んだ意味があるのかもわからない。その後は森重の個人技から岡崎のおしゃれヒールで2点目をゲット。ケーヒルが投入されて後半ロスタイムで1点こそ返されたが、日本のリアルを理解した上での勝利はハビエル・アギーレという監督の首を繋げる重要な結果であったとも思う。

 あえてマン・オブ・ザ・マッチをあげるとしたら、香川真司ではないだろうか。中盤トップ下の位置にいることによって彼が持つ本来の力を発揮できたように思える。本田圭佑は現状右ウイングの位置でミランでも活躍を見せていることを考えると、アジアカップでもこのポジションがベターなように思える。

 

 理想と現実の折り合いの中で、やっとアギーレはアジアカップに向けて妥協点を探り出してきているのかもしれない。ただし、やりたいサッカーは日本の志向していたサッカーとは真逆の位置にある。それを構築するのは容易ではないし、そういう点で彼は日本代表の監督には適していない。現状、優れている選手たちのできることを考慮した上で向いているサッカーを見出すようにしてあげる。それを考えるとアギーレは正直日本代表には厳しい。とはいえ、一定の能力と合わせてフィジカルの能力は世界と戦う上では重要となってくる。アギーレがもしザックが作り上げた先鋭化された攻撃サッカーを一般化までにして浸透させることができるのであれば、ぼくは彼が留任しても構わないと考えている。

 ただし、ここにはアギーレ自身のエゴが入ってくる次元でもある。どうしてもやりたいサッカーに殉じるのであれば。最悪はアジアカップでも芳しい成績を残すことなく、彼はメキシコ行きの飛行機に乗らねばならなくなるはずだ。ザッケローニの積み上げてきたものをいかに有効に活用することができ、尚且つ自分の色を出すことができるのか。アギーレにはまさにバランスを要求されているのかもしれない。

 

 実はザッケローニも「やりたい」サッカーと「できる」サッカーは違っていたように思う。そしてそれは選手たちも同様だ。「やりたい」サッカーと「できる」サッカー。自分たちのサッカーを「やりたい」サッカーと勘違いしてしまったのはブラジルワールドカップだった。この4年間でそれが「できる」サッカーになるのか、それとも「現状できるサッカー」を選択するのか。何も監督だけではない。やりたいこととできることの折り合いは選手たちにも求められているのだ。