殴るぞ

色々と思いっきり話します。

清原和博「少年、49歳」

 甲子園というと、多くの投手や打者が活躍した場所であることは言うまでもない。近年だと大阪桐蔭森友哉中田翔、関東第一のオコエ瑠偉もそうだろう。投手で言うならば小笠原慎之介高橋光成藤浪晋太郎もそうだろう。甲子園で活躍した選手は、その後も強く印象に残る。特に活躍した選手であればなおさらだ。松井秀喜のように5打席連続敬遠という日本野球史に残ってしまう程の伝説さえ残してしまうこともある。

 その中でも燦然と輝いているのは、清原和博だろう。甲子園大会での通算本塁打数史上最多記録、1大会本塁打最多記録を持っている男。名門、PL学園の門を叩いた幼い16歳。初めての本塁打は決勝戦でしかも右打者が打つのが難しいと言われるライトスタンドへの一撃だった。1年生4番でありながらも、当初清原が話題に上がることは少なかった。

 池田高校の水野からホームランを放ち、完封勝利を上げてしまった桑田真澄の方が遥かに話題があった。しかも当時15歳である(桑田は69年4月1日生まれのため学年でもぎりぎりだった)。

 清原が話題に上がるようになったのは決勝戦での一撃と、それ以降見せる活躍からと見ても良いだろう。翌年の春大会でも2本塁打を記録した清原が怪物高校生として注目され始める。桑田はもちろんのこと、清原をどう抑えるか? ということが警戒されるようになり、やがてこの世代は「桑田清原世代」と呼ばれるようになったのだ。

 無言でストイックな桑田はどこまでもプロのアスリートであり続けてきた。その一方で人と群れることが好きな清原はまさしくティーンエイジを満喫していたのかもしれない。PL伝統の厳しい上下関係に苦しみながらも、周囲と笑い合い、流行を追っかけていた清原はどこまでも他人に魅力であり続けていた。中森明菜が大好きで、甲子園の宿舎では卓球を楽しむ清原。しかし、野球に対しては真摯であり続けてきた。

 3年春の選抜でのことだ。準決勝で対決した伊野商業の渡辺智男に3三振に抑え込まれると、その悔しさから夜遅くまで練習をするようになったというエピソードは有名な話だ。桑田が外でランニングをすれば、清原は室内練習場で打撃練習をする。エースと4番が最後まで練習している姿は、後輩にも影響を与えることとなる。

 後輩となる立浪和義もその一人だった。同じ部屋になった先輩の桑田や清原が夜遅くまで練習している姿を目の当たりにし、だからこそPLは強いのだと実感したのだという。そうした厳しい練習を受け継いだ立浪たちの世代が春夏連覇という歴史に残る快挙を達成するのは、この2年後のことだ。

 今回、清原の記事を書こうと思ったのは「Number」の清原特集がきっかけだった。

 13本塁打打たれた投手にインタビューをするという企画。誰もが清原のことを覚えていた。鮮烈な本塁打の印象と、その思い出を肴に今も酒を酌み交わす人。それが絆となって繋がっている友情。清原は人と人をつなぎ、その人たちの思い出の中に生き続けている。番長と呼ばれた彼でもなく、やがて薬物へと堕ちていった彼でもなく。PL学園清原和博が、打たれた投手や捕手たちの中で今も生き続けているのだということを。

 純粋すぎたのだ。そして素直でありすぎた。打者として18歳までに多くの物を手に入れた結果、右も左もまるで分からないまま、清原は大人から悪いことばかりを吸収し、自堕落な生活へと堕ちてしまっていったのだ。そう思う。彼の精神年齢は、未だに18歳のあの時のまま、止まってしまっているのだろう。桑田に愛想を尽かれ、芸能界からも総スカンをくらい、おそらく今後野球界に戻ることは限りなく0に近い。手を差し伸べてくれた人がいるだけでも、奇跡に近いのだ。

 だが、よく考えてほしい。清原は多くの奇跡を呼び起こしてきた男だったということに。そんな奇跡に賭けてみても、いいんじゃないか。私はそう思うのだ。甘い考えであることは百も承知だが。

「あいつは、野球に関わっていないとダメなんですよ」

「いつか清原に、居酒屋ののれんをくぐってきてほしいなあ」

 清原を懐かしみながら、清原の帰りを待つ人たちがいる。そのバットで誰よりも白球をスタンドへと飛ばしてきた強打者は、だからこそ多くの人たちの記憶に残った。人と関わることが大好きだった18歳の少年は、今もまだ30年も経過した人たちの記憶に残っている。「PL GAKUEN」と書かれたユニフォームとともに。

 おそらく、今後清原を越える打者など出てこないだろう。清宮幸太郎でさえも、彼の強い印象を越えることはないのではないだろうか(もちろん時代背景などもあるだろうけれど)。

「甲子園は清原のためにあるのか!」

 植草貞夫さんの実況がこれからも語り継がれる中で、清原の記憶はきっとこれからも色あせることはないだろう。

 私はプロの、それも巨人時代の清原からしか知らない。どこまでもピュアで、男と言いながらも女々しい男だった清原。だが、そんな清原でも私は大好きだ。帰ってくるのをいつまでも待ち続けていたい。例え自分一人になったとしても。

 ハッピーバースデー、清原和博さん。

 今年の夏、いかがお過ごしですか。

 またあなたの元気な姿を見れることができる日を、私はいつまでもお待ちしております。

 敬具

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