殴るぞ

色々と思いっきり話します。

2006年高校野球「夏の庭」

2006年夏優勝:早稲田実業学校高等部

 高校野球は不思議だ。その夏だけ、神様に愛された球児が時々現れることがあるからだ。斎藤佑樹は間違いなく、甲子園の神様に愛された男の一人であった。それは言うまでもないだろう。夏が始まる前までは「早実のエース」でしかなかった高校球児が、である。西東京地区で名の知れた投手であったことは言うまでもないけれど。そう。所詮はその程度であったのだ。

 現に日大三が夏は3年連続で優勝しており、春の都大会でも圧倒的な打撃力で東京を制覇していたのだから。とにかく、打って打って打ちまくる。この年、絶対的なエースがいなかった日大三にはそれだけが勝利への道でもあった。現に斎藤でさえ、昨夏は打ち込まれてしまっているのだから。何より、前年夏に甲子園出場をしたメンバーも多く在籍している。その日大三を破った斎藤。勢いに乗るのは必然だったのかもしれない。

 この年は、近年稀にみる打撃戦と本塁打数となった。前年の32本塁打と比較して、今大会は60本塁打智辯和歌山対帝京の13-12という乱打戦に代表されるように、スリリングな打撃戦が繰り広げられていった。しかし、斎藤は飄々と淡々と。得点は取られて2点。まるで一人だけ別の世界で投げているような。ピンチになるとギアが一段階上がるような、そんな気迫と佇まい。ポケットに忍ばせた青のハンカチに、汗ひとつかかない雰囲気も疲れを見せない姿も。全てを背負い、胸にしまい、ひたむきに投げる姿はまさに投手そのものだった。

 そして立ちはだかったのは、前年に背番号11を背負って投げたあの男だった。田中将大。世代最高のエースとして、3連覇を狙う駒大苫小牧の主将として、エースとして。全てを背背負った。不祥事に揺れてセンバツを辞退せざるを得なかったチームの主将として。プロ注目の投手として。フラフラと不安定な戦いを続けながらも、やはり連覇を達成したチーム。戦後初の3連覇を目指す南北海道の雄は、クールに戦う早実とは打って変わってどんでん返しが多い戦いで何とか決勝にまでこぎつけた。

 そして試合は、後世に語り継がれるほどの熱戦を巻き起こすこととなったのだ。決勝まで全てを投げてきた斎藤に対して、田中は不調に苦しむ。事実、決勝で登板したのも2年生の菊地翔太だった。しかし、出番は早くに廻って来る。3回裏に早実がチャンスを作ったところで田中にスイッチした。伝説は、ここから始まることとなった。

 斎藤が要所でピンチをしのげば、田中も気迫の投球で早実に点を与えない。8回に1点を取り合った両チームの試合は延長戦へともつれ込んだ。互いにビッグチャンスを作りあったが、それでも点は入らない。その神がかり的な投げ合いは規定の15回になったところで、引き分けに。斎藤の球威は最後まで衰えず、田中の気迫は得点を許さなかった。

 そして再試合での結果は言うまでもないだろう。一つのフィーバーが産まれ、日本野球界には大いなるスターが誕生した。無口そうな田中と端正な顔立ちの斎藤は「マー君」と「佑ちゃん」という相性とライバル関係をメディアは挙って書き立てた。

 しかし、斎藤はその輝きを徐々に失っていった。大学野球での度重なる酷使と故障。悪いうわさまでついて回るようになり、日本ハムに入団した現在でもかつて早実で見せたあの輝きを見せているとは言い難い。まるで、野球の神様が斎藤に一夏だけ力を与えたかのような。そういう錯覚にすら陥ってしまう。12時を過ぎて魔法が解けたシンデレラにはかぼちゃの馬車もきれいなドレスも失ってしまった。それでも、行動の一つひとつが未だに注目されるのは。「ガラスの靴」がまだ輝いているからなのだろうか。

 それとも、本当に野球の神様に愛されているのは田中だった。そういうオチなのだろうか。いや、そんなことはない。彼らはどちらにも愛されたのだ。実績も今の力も、斎藤はもはや田中には勝つことができないかもしれない。それでも、彼があの夏で最も輝いたことは誰も否定しない。そして、誰もがあの夏のように活躍してくれることを心から祈っているはずだから。

 いつの日か彼らが夏を振り返るとき、斎藤佑樹田中将大は何を思うだろうか。甲子園に出場する球児は、勝つために全てを尽くして戦う。それでも届かない、その優勝旗をあきらめることができなくて涙する。仲間と戦うことができない、その思いで胸があふれて涙する。何の因縁か、斎藤と田中は再試合9回2死で対峙する。

 4球目、147キロを計測した斎藤。そして、最後の一球は144キロのストレート。田中のバットは空を切った。前年は寺本から150キロのストレートで三振を奪った田中は、最後三振を奪われる形で夏を終えた。田中は笑った。斎藤は泣いた。互いの胸中はどんなものがあったのだろうか。いつか、彼らが口を開くときが来たらいいな。不意にそんなことを思った。