殴るぞ

色々と思いっきり話します。

コービー・ブライアント「レジェンドと比較され続けたレジェンド」

「私はもう、あなたを愛せません」とつぶやき、稀代のスーパースターは現役を退く。コービー・ブライアント、その人である。マイケル・ジョーダン以後、アメリカのバスケットボール界で最もMJと比較された。その幻影に悩み続けてきたであろう「ネクスト・ジョーダン」は、確かにポテンシャルと勝負強さはMJと比較されるに相応しい存在と言える。

 苦しみ抜いたプレーヤー人生だった。才能の片鱗を見せ始めたルーキーシーズンから、一躍スター選手へと仲間入りすることになる。そしてフィル・ジャクソンとの出会いと共に、コービーは更なる高みへと進んでいくこととなる。

 MJがいたシカゴ・ブルズで指揮を取っていたバスケット史に残る名将は、コービーを攻守ともに最高の選手に育て上げることに成功したのだから。そして、ブルズ以来NBA史上3チーム目となる3連覇を達成する黄金期を迎えることとなったのだ。23歳にしてキャリアの全盛期の一つを迎えていたといっても良いだろう。

 しかし、コート外では常にもう一人のスターと衝突していた。それがシャックことシャキール・オニール。巨体を活かした身体能力とペイントエリアでの圧倒的な存在感が印象的なセンターである。ジャクソンHCが招聘される前から不仲が公然の事実となっていた二人。その確執は勝利の美酒でそれが和らぐどころか、かえって深まるばかりとなっていた。

 そして、レイプ疑惑。若くしてスターに上り詰めた彼に待っていたスキャンダルによって、バスケットボールに集中できない状態になってしまう。気分屋のシャックはモチベーションを下げてしまい、栄光からは遠ざかっていくばかり。何よりジャクソンHCは気分屋で気難しいシャックにつきっきり。コービーはそんなチームにある決断を要求した。

 ジャクソンとシャックを選ぶのか。それとも自分を選ぶのか。

 レイカーズが選んだのは「ブラックマンバ」。晴れてエースとなることとなったコービーだが、チームは思うように勝つことができなくなる。チームの象徴と名将を追い出した元凶のコービーへのバッシングは避けられなくなり、ジャクソンが再び戻るというドタバタの状態に。目立ちたがりで唯我独尊的なコート上でのプレーに対して、批判を集められる日々。おまけにチームに対して補強が進まないなら自分をトレードしろと要求して、却って印象を悪くしたこともあった。シャックの”幻影”から逃れられない日々。そんな日常が、二重にも三重にもコービーは苦しめていたのではないだろうか。

 しかし、そんな中でコービーはその振る舞いを「リーダーシップを取る」という形で昇華させる。やがて幻影から解放もされる出来事が起こる。スペイン代表のセンター、パウ・ガソルの獲得だったのだ。

 そこから、コービーは再び世界最高峰の選手として変貌を遂げていく。北京オリンピックではアメリカ代表として出場し、献身的な振る舞いとプレーでチームの金メダル獲得に大きく貢献。そして、ロンドンオリンピックでも金メダル獲得をする。代表チームでの試合は引退までで全て勝利し、チームも文字通り「ドリーム・チーム」と賞賛されたほどだった。

 レイカーズでも2連覇を達成し、シーズンのMVPやファイナルのMVPも獲得する。文字通り世界最高の選手として認識され、マイケル・ジョーダンの再来と呼ぶに相応しい選手となっていったわけだ。

 その反面、怪我には常に苦しめられてきた。レイカーズや代表での栄華とは裏腹に、常に負傷を抱えてプレーする日々。近年は身体の衰えと相まって、徐々にコービーらしさがなくなってきているようにも思えた。ジャクソンも勇退してレイカーズから去った。それと比例するように、チームは徐々に勝てなくなっていく。2013-14シーズンと、2014-15シーズンはディビジョン最下位。アクロバティックなプレーと精確なショットは、出そうと思ってもコービーの意思と反して出せなくなっていた。出すには、体があまりにも負傷に耐えられなくなっていたのだから。

「僕の身体が別れの時だと言っている」。コービーはそう言って、引退を決断した。誰よりも勝利へ執念を燃やし、戦い続けてきた男だからこそ、アリーナには立てても戦えないと決断したのだろう。

 ここまでマイケル・ジョーダンと比較されたバスケットボーラーはいないだろう。レブロン・ジェームズも、アレン・アイバーソンも、ブルズの後輩デリック・ローズも。コービーのようにMJと比較されたことはなかったはずだ。しかし、もう彼のことをネクスト・ジョーダンと呼ぶファンは誰もいない。なぜなら、彼はコービー・ブライアントであるのだから。それこそが、彼の全てなのだ。

 大きな賞賛を胸に来年、コービーはバスケットシューズを脱ぐ。プレーヤーとして、何にも変えられない幸せなのだろう。やがて、「ネクスト・コービー」と呼ばれる選手が出てくるようになる。それが、彼が素晴らしい選手だったという物差しとなるのだろう。