殴るぞ

色々と思いっきり話します。

トーマス・シャーフ氏講演(1)

 Twitterを見ていると、「サッカーの面白い分析を心がけます」の管理人・らいかーるとさんがTLでインフォメーションを流していた。かつてヴェルダー・ブレーメンを率いていたトーマス・シャーフ氏が来日、講演を行うとのこと。これは行くしかないと思い、即申し込んだ。これまで指導者の話や生の練習に触れる機会がなかった自分にとって、大きな刺激となるかもしれないと感じたから。幸いなことに時間はある。水曜日が楽しみで仕方が無かった。

 トーマス・シャーフ氏はここで説明するまでもないだろう。現役時代はヴェルダー・ブレーメン一筋で、現役時代から指導者の道を歩み始めた異色の経歴を持つ。彼曰く、それは「プレーヤーとして自分がキャリアに恵まれていたから」と語る。

 ケルン体育大学で指導者ライセンス獲得の勉強をしながら、選手としてトレーニングを行うという日々。その日々は大変だったが、指導者としての大きな糧となっていることも語ってくれた。

 以降のQAは司会者の小谷泰介氏が質問したものをシャーフ氏が回答したものである。

■「今となると、レーハーゲルが取り計らってくれたのも大きいと思うんだ」

Q:ドイツではサッカーが日常にあった。ご両親からはどのような影響を受けてきた?

「父がアマチュアでサッカーをしていてね。兄も同じチームでプレーしていた。(文字通り)日常にサッカーがあったわけだ。それに、妻も娘もサッカーが大好きなんだよ」

Q:同じチームで日本人初のプロサッカー選手となった奥寺康彦さんの印象は(奥寺さんとシャーフ氏は現役時代から仲が良かったことで知られている)?

「オク(奥寺さんの愛称)は、私が現役選手の時にやってきた選手でね。ヘルタ・ベルリンから移籍してきた。プレーヤーとしてだけでなく、人間性も素晴らしかったよ。私たちに日本人としてのメンタリティーを教えてくれて、それに対して私たちに驚きを与えてくれたんだ。それはドイツ全土に対して素晴らしい印象ということだ。そしてそれは、今ドイツで活躍している日本人選手にも、続いているものだと私は思うよ」

※奥寺さんとの仲はかなり良かったようで、シャーフ氏とトーマス・ヴォルター氏は特に慕っていたとのこと。1986年のキリンカップを最後に奥寺さんはブレーメンを退団するが、優勝が決まった時に喜んで肩車したのがシャーフ氏とヴォルター氏だったという。

Q:選手もしながらコーチもやっていたのはなぜ?

「自分がプレーヤーとしてキャリアに恵まれていた。そしてそれを伝えていくことをしたかったんだ。何より下部組織からずっとブレーメンでプレーしていたわけだからね。自分はキャリアの中でコーチの振る舞いややり方を見て学んできた。そしてそのうちコーチになりたいという思いが強くなったんだよ。まあ、1日の仕事量は増えたけどね」

Q:今となっては考えられないこと。

オットー・レーハーゲル(当時のブレーメン監督で、ギリシャ代表監督も務める)の計らいが大きかったと思う。スケジュールは大変だったけれど、私もコンディションを維持するなどチームに対してできることを考え続けてきた」

Q:その恩師であるオットー・レーハーゲル監督について。監督などに就任するときに彼を参考にした部分は多かったのか?

「彼だけというわけじゃない。多くの人がブレーメンの監督に就任してきた。そこで私は自分のスタイルを築いてきたんだ。ただし、14年間彼と一緒にプレーした。統率力など多くのことを勉強してきたし、レーハーゲルからはもっとも多くの影響を受けたよ」

■「バイエルン・ミュンヘンにも負けないサッカーができたと思う」

Q:1995年に引退し、それ以降はコーチを勤めてきた。しかし、1999年のシーズン終了間際に監督に就任した。

レーハーゲルの後は、短いスパンで監督が交代していってね。当時はスカウティング(相手の分析)の担当と、2ndチームを任されていたんだ。ただ、1999年の時にはフェリックス・マガトヴォルフスブルクなどで監督を務め、長谷部誠らへの指導経験がある)が残り4試合で退任してしまってね。チームも降格寸前だったんだよ。けれど何とか4試合を乗り切って残留できた。それから、DFBポカールでは決勝まで残っていたわけだよ。よりによって相手はバイエルン・ミュンヘン。けれどチームはPK戦まで持ち込んでくれて優勝できたんだ」

Q:監督就任1ヶ月で初タイトルというのは、(小谷氏は)勝運があるように思える。2004年にはダブル(国内戦とDFBポカールの2冠)を達成したね。そのときはどうだった?

「魅力的なサッカーをしていた。だがそれは、新しい仲間と共に作り上げてきた成果だ。当時からチームメートだったクラウス・アロフスがGMになってくれてね。一緒にチームを作り上げていっただけさ」

※ちなみにだが、ブレーメンのクラブで一流銀行マンのセミナーが開かれた時があったという。そのセミナーに参加したのがシャーフ氏とアロフス氏、ヴォルター氏だけだったらしい。後の活躍は言うまでもなく、ヴォルター氏も2ndチームの監督に就任したとのこと。

Q:バイエルンとの予算は2倍以上の差はあったと思う。それなのに、結果を残せた理由とは?

「一番チームの状態がよかった時で2倍くらいだからね。それでも足りない予算を補うために、チームとして強くなるために、プレーヤーとしてチームにタイトルをもたらすことができる選手を獲得して強くなって行ったんだ。そこから、バイエルンに対しても負けないサッカーができた試合があったんじゃないかな?」

 今回は、彼の経歴とインタビューを乗せた。次回は彼の「攻撃的サッカーについて」の熱いサッカー談義を伝えられればと思う。