殴るぞ

色々と思いっきり話します。

メイウェザーvsパッキャオ Pacman(3)~鉄槌~

 誰もがその判定に首をかしげ、怒りに狂ったことだろう。ティモシー・ブラッドリー戦での一幕だ。リアルタイムで見ていたぼくの判定は118-110でPacman優勢。明らかに彼の強打がブラッドリーを上回っていた場面が多く見られた試合だったのだ。とはいえ、彼は衰えてしまった。以前の彼であれば、この程度の相手など倒すことは容易い相手であったのに。なお、この試合の採点をやっていたCJロス女史は、2年後に再び「やらかす」のだが、それは次回記述したい。

 とにかく、あまりにもPacmanは衰えてしまったのだ。アスリートにとって30代という時期は円熟から引退へと向かっていく時期である。より身体を厳しく節制しなければならない時期に、彼は何をやっていたのだろうか。当時のPacmanはアメリカの拠点で遊びほうけ、フィリピンでは政治スキャンダルにまみれていた。特にアメリカでの生活はひどく、朝まで飲み歩いて家はまるで大学の寄宿舎のようだったという。浮気も繰り返し、金がなくなりトップランク社長のボブ・アラムにファイトマネーを前借りしていたという。そして、ドーピング。

 あまりの振る舞いに、ジンキー夫人が激怒したという話もある。それは当然のことだったと思う。彼は一度それで、ベルトを手放したことだってあるにも関わらずだ。だからこそ、誰もがそんな姿を見たくなかった。ぼくだって、その一人だ。

 マルケスと3度目の対決を終えたあと、Pacmanは今までの振る舞いを省みて悪い取り巻きに様々な「余計なもの」を手放した。それから、規則正しくそして規律正しい生活を送るようになったとのこと。ただし、神様はどうやら彼を許さなかった。それがブラッドリー戦で、マルケス第4戦目だった。

「またも俺はあいつに勝利を盗まれた!」

 マルケスは3度目の試合後に、そう言って激怒したという。ボブ・アラムがその言葉に呼応したのか、それとも神の導きか。4度目の対決にサインをして、2012年12月8日に運命を託した。

 話はそれるが、この試合でマルケスにドーピング疑惑がかかった。当時39歳だった体とは思えないほどに作り上げられた身体と、マルケスのチームスタッフの中にステロイドの売人がいたことが理由だ。加えて、ドーピング検査も厳格なものではなかったことがその疑惑に拍車をかけた。恐らくは、そうなのだろう。だが、それはPacmanも同罪だ。ミニマム級程度の身体しかなかった彼が、どうしてウェルター級までの筋肉をつけることができたのか。食生活やハードトレーニングでは到底身につけられない「何か」は確かにあるのだとぼくは考えている。

 いずれにせよ、それだけ両者ともに身体を仕上げてきたということでもある。滑り出しから、Pacmanの動きは軽快。かつての輝きを見せつけていたように見えた。

 それでもダウンを奪ったのはマルケスなのだから、スポーツというものは不思議なものだ。第3R中盤。やや強引にも思える程に、強烈な右フックを浴びせたマルケス。思った以上にダメージの深いPacman。それでもパンチを返して、第4Rにダウンを奪い返したのは最強を欲しいままにしてきた男の意地なのか、それともライバル故か。判定決着は恐らくないだろう、ラスベガスのボルテージがいよいよ高まってきた第6R。

 仕留めようと果敢に踏み込んだPacman。並のボクサーであれば被弾してしまっていただろう。しかし、相手はテクニックと遂行できる「勇気」を持ったマルケス。それに合わせた強烈な右カウンター。2分59秒のことだ。ラスベガスのファンは興奮に驚きと完成を上げ、画面上から見ていたファンは言葉を失った。そして、ジンキー夫人は夫の姿に泣き崩れ、Pacmanは前のめりに突っ伏したまま動かなかった。これで完全決着。誰もが思ったことだろう。「マニー・パッキャオは終わった」と。

 ぼくはこう思う。神様は今までの彼を見ていた。そして、最強の名を欲しいままにした彼のその後の振る舞いを許さなかった。最強であるからにはそれに恥じないような鍛錬を積んでこそだというのに。Moneyはいくらトラブルメーカーであろうとも、恐らくはその真面目な練習への姿勢を買っていたのだろう。だから、あの強烈なKOをもって彼を罰したのだと。言い過ぎだろうか。しかし、この世界は時として神の悪戯としか思えないようなことがもっと起こっているのだ。