殴るぞ

色々と思いっきり話します。

マニー・パッキャオ「Goodbye Days」

 ティモシー・ブラッドリーの体がゴロンと転がるようにダウンした瞬間だった。私はパックマンの勝利を信じて疑わず、そのフィナーレは世界中から祝福されたものになるであろうという確信に満ちていた。かつて疑惑の判定も含めて因縁深い、「デザートストーム」との試合を花道として。

 しかし、幸か不幸か今回のブラッドリーはとてもテンションが高く調子も良かったように見える。ダウン以降はスタミナが切れたパッキャオをとことん攻め立て、惜しまれながらの引退ではなく「引退して然るべき選手」であることの理由を見せつけたように思えたのだった。

 パックマンのスタミナ切れ。そんなことは有り得ないはずだった。スピードを活かした高速連打、パワフルなパンチ。そしてスタミナ。あれだけ激しい攻撃ができたのも、無尽蔵のスタミナがあったからこそ。ガス欠となって攻め込まれてしまうことなど、あり得るはずがなかったのだ。そしてそれは、エヌマエル・ダビドゥラン・パッキャオというボクサーという物語の終わりとするには余りにも相応しすぎた。

 恐らくこれほどのボクサーは出てこないだろう。ミニマム級の体重にも満たないところから始まったフィリピンの路上生活者は、恐らくアマチュアボクシングでの活躍がなければ、その名を知らないまま路上で野垂れ死にしていても不思議ではなかっただろう。

 フライ級を獲得後、不摂生を繰り返していたパッキャオが、もしフレディ・ローチという名トレーナーと出会わなければ。対して記憶にも残らない平凡な選手として終わっていただろう。マルコ・アントニオ・バレラエリック・モラレスやオスカー・デ・ラ・ホーヤといったスーパースターをその実力で蹴散らしてきた。そして彼は母国フィリピンの英雄となったのだ。

 彼が英雄とならなければ、日本人にも馴染み深いノニト・ドナイレもアメリカで活躍していなかったかもしれない。いや、活躍していたとしてもこれほどまでにクローズアップされていなかったのだろうと思う。その部分だけ含めても、彼の功績というのは途轍もなく大きなものである。

 しかし、彼は余りにも汚れすぎてしまったのではないだろうか。不意に思うときがあるのだ。

 パッキャオという男はどこまでも純粋に強さを追い求めた男だった。しかし、それゆえにやや無邪気すぎてしまう時期があったようにすら思うのだ。フィリピンでは国会議員を務め、バスケットボールチームのオーナーでありながらヘッドコーチ兼任選手、映画俳優。しかしそれは、ボクシングにおいて余りにも不要すぎるものだった。やがて私生活が乱れ、税金滞納から浮気、ギャンブル、飲酒。色々なものが彼に付きまといすぎた。

 そうすると「本業」であるはずのボクシングには当然影響が出始める。圧倒的に強かったパックマンにボクシングの神様は怒りに震えた。3戦目となったファン・マヌエル・マルケスはその判定に物議を醸し、件のブラッドリー1戦目は「ボクシング史上最悪の判定」と言われた。しかし、そこにあったのは単純な練習不足。もはやボクシングの神がパックマンに微笑むことはなくなった。

 それ以降も、有望選手こそ倒しては見せた。しかし、有望選手に「横綱相撲」するパックマンパックマンではない。同格、あるいはそれ以上のレベルの選手との対決。それは誰もが望んだあの対決。フロイド・メイウェザー・ジュニアとの一騎打ちだった。しかし、それにも敗れてしまった。そして、その頂上決戦が終わったとき。ボクシングにやってくる新たな時代の流れを誰もが感じ取っていたのではないだろうか。

 彼が戻ってくる確率はフィフティー・フィフティーだという。しかし、勝負の世界へ戻る必要は一切ない。私はそう考える。なぜなら彼は、ボクシングの神に愛されそしてボクシングの神を怒りに震えさせた男だったから。

 最後悔い改めて、ボクシングと真摯に向き合った。敬虔なクリスチャンとなったらしいが、そんなことはどうでもいい(表現はあれかもしれないが)。ブラッドリー戦を最後に、グローブを壁に吊るすことを選んだ。それでいいのだ。もう、ここで終わる。それでいいのだ。別にパッキャオの試合を観たくないわけではないけれど、あの激しいファイトを見ることは恐らくできないであろう。

 それをやるには何もかもが、遅すぎたのだから。体へのダメージは一生残るだろう。滞納した税金はどうなるのか。国会議員としての活動は。パッキャオには解決せねばならないことが山ほどある。無邪気に強さを追い求めていた時代は、もう終わったのだ。子供はいつか、大人にならなければいけないのだ。

 ともかく、38という年齢は致命的だろう。ファン・マヌエル・マルケスもかれこれ2年近く試合をしていない。アスリートとしてもう、戻れない。だからいつだって人は過去を振り返る。あの頃は良かったと。だから、ここでお別れである。

 ありがとうパッキャオ。次は私の思い出で。