殴るぞ

色々と思いっきり話します。

佐藤悠基という凄み

 箱根駅伝を見ていると、何度も忘れられない選手が出てくる。その際たる選手が、ぼくは佐藤悠基だ。名門・佐久長聖を卒業し、トラックでは当時学生最強と呼ばれた留学生のモグスにも勝利した才能の塊。1年先輩だった伊達秀晃とともに、新入生ながらチームを引っ張っていく存在となった。大学駅伝デビューとなった出雲駅伝ではアンカーを任されて東海大学の優勝に貢献し、箱根駅伝では3区を走って区間賞と区間新記録を樹立。その才能と末恐ろしさを存分に発揮して見せた。サックスブルーのユニフォームとゴーグルをつけた佐藤の颯爽とした走りはまるで重力を感じない。新たなスターの誕生でもあった。

 

 そして、ぼくが何より鮮烈に覚えているのが2年時だ。圧倒的な力を持つ佐藤は1区を走ることとなった。1区は基本的に全員が様子を伺い、中盤まではペースが一定になっていることが多い。終盤に差し掛かるとスパートをかけることが多いため、大抵は団子状態になりやすい。順位がおおよそ見えてくるのは「花の2区」からなのである。だが、その年の佐藤は違った。序盤から一気に突き放すとそのまま独走。団子状態となっている集団をそのまま突き放して一人旅を続けていった。そこには誰もおらず、たった一人で佐藤が道を走っているようだった。箱根駅伝という一つの大会から先を暗示するような、そんな走りであったように思う。彼のスピードならば、その美しいランニングフォームならば。きっと金メダルを首にかけることになるのもそう遠くはないはずだと確信してしまいそうになるようで。

 だが、六郷橋付近からその思いは暗転する。太ももに、彼の選手としての悩みとして関わり続けることとなるものが出てきてしまう。痙攣グセだ。そのペースが悪いのかそれとも体質なのか。彼はロードとなると太ももに痙攣を生じてしまうのだ。それは翌年の箱根駅伝以降も続く慢性的なものとなってしまっている。結果、この大会では1区で4分1秒という大差をつけて2区にたすきを渡すことになるのだが、痙攣がなければどこまで彼は行っていたのだろうか。もしかしたら、もっとマラソン挑戦が早くなっていた可能性だってあるのだ。世界選手権代表、トラック競技10000メートル走日本選手権連覇達成というのはもちろんスゴイが、あの走りを見てしまうと、どうしてもその上を求めてしまう。

 

 そして、彼の活躍は今の駅伝の戦術を大きく変えたといってもいい。早稲田大学が2010-11シーズンに駅伝三冠を達成したが、最後の箱根で選んだのは大迫傑を1区において先行逃げ切り作戦だった。最終的に柏原に逆転こそされたが、6区で高野が粘ってそれ以降の区間をしっかりと逃げ切った作戦は大きく当たった。翌年以降になると東洋大学がそれを取り入れ、近年の駒澤大学のスタイルもそれに近い。これは学生ランナーのレベルが上昇しているからこそできる戦術ではあるが、その先陣を切ったのは間違いなく佐藤悠基率いる東海大学であった。むしろ、箱根を制するためにはあのシーズンしかなかったようにも思えるのだ。ただ、あの年の5区には「山の神」がいたことを忘れてはいけない。彼の能力とそれを活かした戦術は間違いなく衝撃的だった。

 

 それにしても、佐藤にはサックスブルーがよく似合う。そのクールな風貌からなのか、スマートな走りからなのか。いくら状態が悪くても、それなりの結果を残してしまうこと。同じようなレベルの選手が同期にいなかったことも大きいのかもしれない。そんな彼にとっては、大迫傑らのような若い世代のレベルの高さは朗報だ。28となった彼はもうすでにトップレベルで残された時間はそれほど多くはない。それにも関わらず、能力の高い彼らを勝たせないあたり、やはり彼はすごいのだ。だが、それはあくまで国内レベルでの話。世界でもそういう走りを見たいのだ。あの神がかった走りをあとどれだけ見ることができるだろうか。エリートの彼にとって、いよいよ正念場が近づいている。