殴るぞ

色々と思いっきり話します。

ダイナマイトがとどろくとき(1)

 ボクシング史上最高のテクニシャンは誰になるだろうか。

 フロイド・メイウェザー・ジュニアは最強でありながら、なおかつ唯一無二のテクニックを持つ天才だ。アンドレ・ウォードも実にテクニカルな選手である。アマチュアボクシングで鍛えられたスキルに裏打ちされたファイトスタイルは、洗練されておりなおかつボクシングの「理」を見せつけられる。

 しかし、時としてボクシングは理だけで片付けられない場面にも遭遇する。リスクを冒してでも倒しに行かなければならない場面。激しさを見せなければならない場面に直面するときが、必ずある。メイウェザーであれば、それでも飄々と逃げるだろうが、それができるのは一握りだ。

 そう考えたとき、冷静かつエキサイティングな戦いをできるテクニシャンは誰だろうか。私の頭に浮かび上がってきたのは、「Dinamita」だった。スペイン語でダイナマイトと呼ばれたメキシカン、ファン・マヌエル・マルケス・メンデスの二つ名である。

 パンチの精度が高く、撃ち込まれるタイミングにも狂いがない。判断能力も抜群に高い。メキシコが生んだ、最高のテクニシャンだ。弟のラファエルもボクシングをしており、2階級制覇を達成した名チャンピオンだ。西岡利晃とラスベガスで対戦した相手としても知られる。

 しかし、そのボクシング人生は栄光だけで満ちていたわけではなかった。むしろ、不運なことが多くあったし、4階級制覇王者としては余りにも不遇なエピソードが多い選手である。

 まずは、露骨なひいきによる判定負けが多いことだ。

 特に有名なのが、デビュー2戦目で味わった反則負け。明らかに有利に試合を進めていたにも関わらず、主催者お抱えの選手だったこともあり反則負けにさせられたのだとか。

 その後も、インドネシアの山奥でクリス・ジョンを相手に終始ジョン有利のレフェリングがなされた末に判定負け。後述するパッキャオとの試合もマルケスが勝利していたとする人も多い。このことについては、マルケス自身も「私が本当に負けたのはメイウェザー戦だけ」と述べるほどだ。

 次に、トレーナーのイグナシオ・ベリスタイン。通称「ナチョ」と呼ばれる名伯楽だ。多くの世界王者を育て上げ、長谷川穂積西岡利晃と対戦したジョニゴンことジョニー・ゴンサレスとも契約していることで知られる。

 しかし、ナチョのマネージメント能力はトレーナーの腕と反して無能とする専門家も多い。4階級を制覇してネームバリューも極めて高い選手でありながらも、マルケス兄弟は決してお金という点で恵まれた生活を送ってきたわけではない。

 ナジーム・ハメドには22か月もの間「逃げ続けられ」た末に、戦うことなく王座を返上されたり、前述のジョン戦ではインドネシアの奥地で、たった3万ドルというファイトマネーで試合をする羽目になったり。後者はナチョがパッキャオとの再戦でのファイトマネーの交渉が一因となっているらしい。75万ドルを提示されていたのに、結果として来てしまったのは3万ドルの「八百長試合」だった。マネージメント能力のなさによるエピソードには事欠かさないのがナチョだ。

 それでもマルケスは「彼はファミリーの一人」と公言し、決してナチョを責めない。義理堅く、弟の試合を見るのが苦手な弟思いのメキシカンが、牙を向けるのは宿命のライバルだけだ。

 当時最強を誇っていた、エヌマエル・ダピドゥラン・パッキャオ。マニー・パッキャオである。フィリピンの貧農からのし上がった「パックマン」は、最強の名前をほしいままにしていた。

「奴には3回も勝利を盗まれた!」

 マルケスはパッキャオについてこのように語っている。現に1戦目は3度のダウンがあったことが大きく響いただろうが、その後巻き返してドローに持ち込んだ。2戦目も僅差の判定で敗れたが、マルケスの勝利と裁定されても何らおかしくはなかった。そして、物議を醸した3戦目。多くのファンがパッキャオ有利と評しながらも、マルケスはライバルとしての意地を見せる。いや、パッキャオが苦戦を強いられた時を思い出したかのようだった。

 手数の多いパッキャオに対して右カウンターで何度も制し、ジャブでパッキャオが距離を詰めようとする動きを止めさせた。スタミナ切れもあったが、攻めなかったことで混乱を引き出し、最終ラウンドの終わりを告げるゴングが鳴った時、パッキャオはうな垂れたほどだった。

 しかし、判定は違った。そう。これがマルケスという男に火をつけてしまったのだ。当時、パッキャオはプライベートで多くの問題を抱えていた。それが大きく影響したことも、否めないだろう。

 その時パッキャオは、世界チャンピオンのベルトを持っていなかった。マルケスは4階級制覇チャンピオンになっていた。契約体重はウェルター級のノンタイトル(厳密にはWBOからベルトが贈呈されたようだが)。しかし、その決戦にタイトルを賭ける必要はなかった。

 賭けたのは、プライドだった。

つづく

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