殴るぞ

色々と思いっきり話します。

メイウェザーvsパッキャオ Pacman(2)~その男、天敵につき~

 今まで、Pacmanは多くの強豪をその拳で打ち砕いてきた。どんな相手でも圧倒し続け、勝利をもぎ取り続けてきた。その実力に疑問を持っていた目の肥えたファンをその戦いぶりで納得させ、そしてエキサイティングにさせてきた。パウンド・フォー・パウンド最強と言われるようになり、やがて彼はフィリピンの英雄と呼ばれるようにまでなる。

 ところが、そんなPacmanでも圧倒できなかった対戦相手が一人。それがファン・マヌエル・マルケスだったのだ。攻防一体のスタイルと精度の高いパンチを放つ、メキシコ人ボクサーの中でも同じくエキサイティングな戦いをするボクサーである。そんな2000年代屈指のテクニシャンであるマルケスは12年間で4度、Pacmanと対峙することとなったのだ。

 2004年5月8日。宿命の戦いは、第1ラウンドに奪った3度のダウンからスタートする。Pacmanの勇気と後退を知らない激しい攻撃の前に、いつTKOされてもおかしくないところまで、マルケスは追い詰められたのだ。しかし、名レフェリーとしても知られるジョー・コルテスはそのような判断をくださなかった。そしてそれは、10年以上4度にわたる激闘の幕開けでもあったのだ。もし、TKOを宣告されていたのだとしたら。ただ「Pacmanは強かった」だけで終わっていたかもしれない。

 しかし、その攻撃をしのぎ切ったマルケスは反撃を開始する。序盤から飛ばしすぎたPacmanは疲れを見抜かれた。そして、鋭い踏み込みが衰えたところを強烈なカウンターを浴びせる。中盤から終盤にかけてはマルケスに主導権を握られたPacmanはそれでも意地で耐え抜き、一方でPacmanも左ストレートを浴びせようと踏ん張る。互いの意地を見せた第1戦は三者山陽のドローに。そうなるのも、不思議ではないくらいの激闘だったのだ。

 それから両者は3年10ヶ月の間、めぐり合うことなくそれぞれの戦いに身を投じる。エリック・モラレスマルコ・アントニオ・バレラといったスーパーフェザー級の強豪と戦いながら実力を見せつけていたPacman。一方、マルケスはその名とは裏腹に不遇を囲い続けた。クリス・ジョンとの世界戦ではインドネシアの敵地にまで出向き、明らかに勝利していたにも関わらず判定負けを喫した。明らかに彼には釣り合っていない相手との対戦。しかし、逆境を跳ね除けてきたマルケス

 2度目の対決は2008年3月15日。再び序盤からダウンを奪ったのは、Pacmanだった。再び盛り返したのはマルケスPacmanの攻撃は巧みにガードされ、マルケスのカウンターが猛威を振るう。それでも攻めて攻めまくったPacmanマルケスの攻撃の前にも果敢に立ち向かった。そして試合は判定に。再び僅差の決着になったマルケスPacmanはジャッジ2者がPacmanを支持し、1者はマルケスを支持。スプリット・デシジョンでの決着となった第2戦。実はぼくも個人的に採点をつけていた。その結果は115-112でマルケスを支持。それだけ、際どい戦いであったとも言える。

 それからPacmanGolden Boyを薙ぎ倒し、ハットンをあっという間に叩き潰した。パウンド・フォー・パウンド最強の存在として、Money引退後のスーパースターとして。最強の存在として。誰が彼を止めることができるのだろうか。そして立ちふさがったのは、マルケスだった。決着が着くと、誰もがそう思った。完全決着が着くと。それもPacmanの圧勝で。

 しかし、世界中のファンが「まさか」と思うほどのマルケスの奮闘に驚く程だった。昔の苦手意識を思い出したかのようにPacmanはアグレッシブに動くことができない(他にも理由はあったのだが、今回はここで記述をしない)。そしてマルケスは、勇気を持ってPacmanの攻撃を遮断し続けた。それはきっと彼だからこそできる唯一無二のテクニックだったのだ。しかし、いかんせんウエイトは彼にとっては勝利を妨げる障害となったのだ。元来、フェザー級からスーパーライト級を勝負の場としてきていた彼には、ウェルター級の体重は重すぎたのではないだろうか。結果としてぼくは手数で押し切ったPacmanが115-113で勝利と採点した。

 そう、どちらとも取れる採点で、マルケス勝利を支持する声がほとんどであったことも否定はしない。

 やがて、Pacmanへの疑問の声やスキャンダルが公になるにつれて、あの男が帰ってくる。彼のショーに誰もが酔いしれ始め、本当のスーパースターとしての支持を得ていくようになる。世界一のプレーヤーとして。そのときを待っていたフロイド・メイウェザー・ジュニア。リングにそして、世界タイトルの最前線に帰ってきたのだ。