殴るぞ

色々と思いっきり話します。

エドウィン・バレロ「孤独」

 いなくなってから分かる偉大さと言うのは結構ある。例えば、マイケル・ジャクソン。世界一のエンターテイナーは生前から偉大ではあったが、やはり死後に彼を超えるポップスターをぼくは見たことが無い。ショービジネスに生きた男がこの世を去ったのは2009年。世界から愛された男は、誰よりも繊細で優しく、破滅的な人物であった。スターであるが故のものであるとは思うのだが、精神的にも辛くてさびしい思いをしていた人物だったのかもしれない。多くのスポットライトを浴びる中で、誰も影を知ることはできない。結果として破滅的な人生を歩んで、身を滅ぼしていく。横山やすしや、ASKAがそうであったように。だからこそ人は何かにすがり、付いていきたいのだ。ジャスティン・ビーバーは敬虔なキリスト教徒だし、中村俊輔創価学会員であることは広く知られている。なぜなら、自分以外に頼ることのできる人物がいないからだ。

 エドウィン・バレロはまた一人ぼっちだったのだろう。27歳全勝。KO率は100%というパーフェクトレコードを持った2階級王者は、その荒々しく相手をなぎ倒すスポーツは日本人ボクサーにも大きな影響を与えている。相手をなぎ倒していく様はまさに「ダイナマイト」。真面目で紳士的な態度とは裏腹な好戦的なスタイルに、観客は沸いたものだった。頭部の負傷によって発生した脳溢血によってアメリカで試合ができなくなってしまった。そんな彼が才能を開花させたのは帝拳ボクシングジムに拾われてから。12戦連続1RKO勝利と実力を発揮していた彼は却って、対戦相手に誰も手を上げないほど強かった。世界記録のかかった16戦連続1RKO勝利の試合では、「1RでKOが出来なければ100万円のファイトマネー」というキャンペーンも行ったほどで、阪東ヒーローはむしろ手を挙げて最後まで頑張ったことを賞賛されたくらいだった。あまりに強すぎたバレロが世界王者となるのは必然のことだったのだろう。

 しかし世界王者を獲得すると、次第にその心を曇らせていく。夫人のホームシックとアメリカのライセンス復帰を許可されると、日本にいる意味がなくなる。帝拳との契約を解除したのはそういうのが背景にあったのだろう。かくして彼は、2階級制覇を達成する。と同時に、夫人へのDVに飲酒運転の不祥事を起こしてしまう。せっかく掴み取ったアメリカでのチャンスを自らふいにしてしまうのだった。その後も連戦連勝、連続KO勝利していたものの、アントニオ・デマルコとの試合後にとうとう表舞台から消えてしまう。2010年2月6日のことだ。薬物とアルコールに溺れてしまっていた彼は既に精神的な異常をきたしていたと言われる。3月には夫人に重傷を負わせ、一度逮捕される。訴えが取り下げられた1ヶ月後には夫人を殺し、留置場で翌日は自ら首をつって命を絶った。

 12歳から飲酒、麻薬をやっていたとはいえ素直で優しい好青年だった彼が心と体のバランスを大きく崩してしまったのはなぜなのだろう。察するに、世界王者になってしまったことでどうしていいか分からなくなったから。思うようなプロモートを受けられないストレス。周囲の変化。いろいろあるのだろう。生来、バレロの繊細で物静かな性格である。その彼が、チャンピオンの重みに耐えきれなくなってしまったのかもしれない。全戦全勝、全KO勝利は確かに魅力的だ。だが、その能力と実績に、自分が耐えきれなくなってしまったのかもしれない。いつかは途切れる記録に恐怖していても何ら不思議ではない。マイク・タイソンはそうやって今でも犯罪を繰り返し、フロイド・メイウェザー・ジュニアは今でもトラブルが多い。オスカー・デ・ラ・ホーヤは女装癖とアルコール中毒に苦しみ、マニー・パッキャオも全てを失いかけた。トップレベルにいる人の心など、誰も知らない。厳しい言い方をするのであれば、多くの選手がそうであったように、バレロには耐えられるだけの器が無かった。

 それでも、エドウィン・バレロが健在であったなら。エイドリアン・ブローナーとのパワフルな試合があったのかもしれない。荒川仁人がバレロとアツい試合をしていてもなんらおかしくはない。ラスベガスでマカオで。メーンイベントを張っていても不思議ではなかった。フロイド・メイウェザー・ジュニアと対決して土をつけていた可能性だってある。マニー・パッキャオは勝利することはできなかっただろう。ストリートから成りあがったベネズエラ人がこの世を去ってから、もう5年になる。

 いなくなってから思う。もし彼がいたら、ボクシングのスーパースターたちはどうなっていただろうか。パッキャオに荒々しいパンチを見舞っていたのだろうか。メイウェザーのディフェンスを崩壊させていたのではないか。たらればではあるが、空想はファンの特権だ。