殴るぞ

色々と思いっきり話します。

シェーン・モズリーとオスカー・デ・ラ・ホーヤ「才能に苦しんだ男たち」

 かつて世界中のボクシングファンを沸かせた名王者が、グローブを壁に吊るすことを決意したようだ。シェーン・モズリー。シュガーの愛称で知られたスピードスターは、幼少期からその才能を存分に発揮していた。彼が12歳の時、当時11歳だったオスカー・デ・ラ・ホーヤを倒し、そして二人は終生のライバルとして語り継がれることとなる。

 後の活躍は言うまでもないことだろう。モズリーはIBF世界ライト級王座を獲得したのを皮切りに、WBAWBCの世界ウェルター級王座、WBAWBCの世界スーパーウェルター級王座を獲得し、世界タイトル3階級制覇王者となる。デ・ラ・ホーヤの活躍は言うまでも無いだろう。バルセロナ五輪金メダル、その活躍を皮切りにスーパーフェザー級からミドル級までの6階級を制覇した初のボクサーとなった。

 そんなモズリーとデ・ラ・ホーヤ。終生のライバルであった2人は後にプロの舞台でも2度、拳を交えることとなる。いずれもモズリーの勝利に終わった訳だが、常に強き者を求め戦う宿命にあったゴールデンボーイにとってライバルであるシュガーから逃れるという選択肢はなかったのだろう。

 そして、ゴールデンボーイもシュガーも。互いに強者を追い求めて戦うボクサー人生となった。ゴールデンボーイはアイク・クォーティ、フリオ・セサール・チャベス、フェニックス・トリニダード。世界的なビッグネームと戦い続け、勝利して時には敗れた。一方で、シュガーもバーノン・フォレスト、ロナルド・ライト、ミゲール・コット。シュガーも挑み続けたが、デ・ラ・ホーヤと比較するといささか日陰に隠れているような気がしてならなかった。

■リングネームと比較すると物足りない印象も…。

 モズリーはかつてアメリカで伝説的な強さを誇った、シュガー・レイ・レナードの後継者と呼ばれ、そこから付けられた愛称はシュガー。回転力が優れた連打とスピード、それを存分に活かした圧巻の強さ。だが、強すぎるあまりライト級時代は対戦相手に恵まれなかった。

 デ・ラ・ホーヤに勝利した後も「天敵」と呼ばれたバーノン・フォレストに敗戦、リマッチでも勝つことができずにノータイトルとなる。その才能を高く評価されながらも、後にロナルド・ライトに2度敗れ、ビッグネームと対戦するも勝利を収めることができなかった。

 ステロイドのスキャンダルなどもあり、評価を下げたこともモズリーにとっては居たかったのかもしれない。リカルド・マヨルガとアントニオ・マルガリートに勝利後も、フロイド・メイウェザー・ジュニアをあと一歩のところまで追い詰めるも敗戦、マニー・パッキャオ戦では反撃に出ない姿を非難されて「限界説」まで飛び交った。

 プライベートのスキャンダルや、ドーピングスキャンダル。2012年に引退を表明してから2度現役復帰をしているが、今回で本当に最後になると私も思っている。1972年生まれのモズリーはもう今年で45歳になる。なおかつ、負ける。シュガーというリングネームで彼が証明できることはもう殆ど無いだろうから。

■才能を持つものが味わう苦しみ。

 プライベートで苦しんでいたのはゴールデンボーイも同じだった。後に歌手としてグラミー賞を獲得。個人プロモーション会社である、ゴールデンボーイ・プロモーションズはボクシング界においてトップ・ランクやドン・キングに負けないほどのプロモーション会社へと成り上がった。順風満帆に見えたエリートは、その影で自身の衰えに敗戦することの恐怖にいつも怯えていた。

 コカイン中毒にアルコール依存。そして女装疑惑。その影は現役引退後も彼を今でも苦しみ続けさせている。今年の1月にも飲酒運転で逮捕され、彼が幼い頃から積み上げてきた光と裏腹に彼は闇を濃くしていた。もちろん、それを擁護してしまうことはナンセンスであることは承知している。どんなことがあってもドラッグやアルコール依存を許容することは許されない。厳しいことを言えばそれが言い訳になるからだ。

 シュガーも同じように苦しんだのだろう。負けることの恐怖、才能が衰えてしまうことの恐怖。どれだけ才能を積み上げてきても最終的には人間であったということなのだろう。自分の才能と比較しても明らかにキャパオーバーな金額が飛び交う世界、そして誰もが期待する熱戦。たった一回の凡戦に終わることが、敗戦が。どれだけボクサーにとって苦痛と言えるだろうか。

 それは、才能を持つが故の苦しみ。エドウィン・バレロポール・ガスコインフロイド・メイウェザー・ジュニア、マイケル・フェルプス。才能があるからこそ、自分が負けるということへの恐怖が理解に苦しむ行動へと変化させてしまうのかもしれない。

■モズリーには夢がある。

 それでも、フロイド・メイウェザー・ジュニアを苦しませた試合を誰も忘れることはないだろうし、2度に渡ってゴールデンボーイを苦しめた事実が変わるわけではない。彼もまた、ボクシングの神様に愛された天才だったのだから。

 これからは若手の育成に励むとされるシュガー。離婚した妻との間に生まれた、シェーン・モズリー・ジュニアは23歳でプロデビューしており、父のプロモートを受けている。7月2日にオーストラリアで行われた試合では敗れているものの、ここまで10勝2敗。学年ではカネロと同学年であるため、着実に実力を積み上げての父子でのリターンマッチもあるかもしれない。

 ゴールデンボーイのいとこでもあるディエゴもまた、その才能を高く評価されている。現在はWBCスーパーバンタム級ユース王座を保持しており、いずれ世界戦線へと躍り出てくるであろう選手の一人だ。

 着々と、戦う才能は次世代へと受け継がれている。モズリー・ジュニアはミドル級で、ディエゴはスーパーバンタム級であることを考えると対戦の可能性は少ないだろう。いささか残念には思うが、時代を彩ったボクサーの才能と戦いに敬意を評して文の結びとしたいと思う。

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