殴るぞ

色々と思いっきり話します。

こういう時だからこそ、できること。

 熊本を中心に発生した大きな地震Twitterのタイムラインをなぞり、そしてテレビで流れてくるニュースを見ていて、私は涙が止まらなくなり、そしてとても心細くなってしまった。被災地の方々が数倍、苦しい想いをしていると分かっていてだ。いや、いるからこそ、なおさら心が痛んだのかもしれない。

 未だ止まることのないこの大地震のさなかで、スポーツに何ができるのだろうか。何を伝えることができるのだろうか。

 東日本大震災の時だった。すべてのテレビが被災地を映しており、ACジャパンのコマーシャルが何度も流れていた。とてもではないが、遊んでいられない雰囲気。浮かれてはいけない雰囲気。そういう流れになっていた。プロ野球は開幕が伸ばされ、Jリーグも第2節以降は中断されてしまったことは記憶に新しい。

 全体的に重苦しく、やりきれない思い。世間がそういうムードだから、遊びもできないし楽しむこともできない。そんな雰囲気を振り払ったのは選抜高校野球と、カズだった。通常通りとまでは行かないものの、実行された高校野球。ひたむきなプレーはきっと、被災地の方々にも響いたことだろう。東海大相模高校主将を務めた、佐藤大貢くんが校歌斉唱後に審判団にも一礼してからスタンドへと走っていく姿にもひどく感動したものだった。現在は航空自衛隊千歳基地に配属となったようだが、野球も続けるのだろうか。実直な彼のような人物には、最も適しているのかもしれない。

 日本代表とJリーグ選抜のチャリティーマッチでは、カズ選手が途中出場から躍動。とても40代の選手とは思えないキレ味あるプレーで1ゴールまで奪ってみせたのだ。そして、カズダンス。彼のプレーに感動し、生きる励みをもらった人もいるのではないだろうか。

 そして、なでしこジャパン。彼女たちの活躍と、絶対女王のアメリカを倒したあのワールドカップ。澤穂希さんをはじめとするなでしこの選手たちの活躍は、本当に素晴らしいものであったと言い切れる。

 八重樫東選手のタイトルマッチも感動的であった。途中、ポンサワン選手のカウンターとタフさに手を焼いたが、KOラウンドでの右ストレートトリプルは気迫と執念を垣間見て、今見てみても涙なしには見ることができない試合だ。

 たかがスポーツかもしれないが、多くの人を感動させて心を動かすことができるのだ。なぜ言い切れるのか。それは、間違いなく私もそうやって選手のプレーに感動してきた人間だからだ。

 澤穂希さんのあの同点ゴールを見て、思わず感嘆の声を上げてしまった。カズ選手のゴールはたまたまお使いで見れなかったのだが(行かなかった妹に散々悪態をついたのも良く覚えている)、八重樫選手の試合ははっきり言って同じ年に行われた西岡対マルケス戦よりも鮮明に覚えているほどだ。

 5年前、あれだけ日本が辛く重たい空気が流れ込んでいる中、大きく変えてくれたのは間違いなくスポーツの力だったように、私は思うのだ。ロンドン五輪でも、日本勢の大活躍は印象的だったことは、言うまでもない。日本に勇気を与えてくれたのがスポーツであるのなら、今こそ出番なのではないか。本気でそう思っている。

 もちろん、不祥事が多くあったことは言うまでもない。プロ野球での野球賭博問題にバドミントンの裏カジノ問題。バスケットボールでは大元が制裁処分を受けていた時期があったのを覚えているだろう。その残念極まりない行動が、スポーツそのものの立ち位置さえ危うくしていた事実を、当然見逃してはいけない。

 それでも、これだけ雰囲気が自粛へと向いている中で、勇気を与えられるとしたら。ひたむきに頑張るスポーツ選手たちの姿そのものであり、一緒になって喜びを共有できる空間ではないだろうか。

 今ここで選手たちが躍動することが、日本を大いに盛り立てることにもつながってくるのだという感覚が、私にはある。槙野智章選手の「毒霧パフォーマンス」が批判されたと聞いた。どこに批判要素があるのか分かりかねるが、ファンサービスの一環としてそうやって盛り上げてくれる人物がいることがとても大切なことのように思える。そしてそれが出来るのは、彼しかいない。彼はそれを分かった上でやっているのだから。

 一方で、プレーに熱い思いを乗せる選手もいる。植田直通選手や内川聖一選手はそれぞれ熊本県大分県の出身だ。彼らの涙は、ファンにそして多くの人たちの心に届くものだった。

 こういう時だからこそ、スポーツというものが大きくフォーカスされてもいいのではないだろうか。一つの娯楽として、多くの人たちへの励ましとなるイベントとして。ただの興行だけで終わるのではなく、大きな引力を持った一つの物として。もしかすると、この機をものにするかどうかで、またスポーツを取り巻く環境も大きく変わってくるような気もしてならない。

 大きな分岐点である2016年。この時だからこそできることを。その気概を。多くのスポーツ選手たちに望みたい。勝手なことだと分かってはいるけれど。