殴るぞ

色々と思いっきり話します。

香川真司「朴智星から学ぶことができることとは」

 かつてスポナビプラスで執筆していた「キリタニブログ」のエントリーで、このような記事があったことを今でも記憶している。ちょうど、香川真司マンチェスター・ユナイテッドに移籍した頃の話だ。

香川真司朴智星をまねるべきである」。

 当然のことながら、ボールをエレガントに扱ってチームのコアとして輝く香川と、激しく泥臭い朴のプレースタイルは大きく違う。それに噛みついたコメント欄はひどく炎上していたことも、記憶している(元々キリタニさんがファンとアンチが多く共存するブロガーであったからだと思うのだが)。

 それが興味深かったが、そのことを理解できるまでに実に4年近くもかかってしまった。では、何を香川は学ぶべきなのだろうか。朴にあって香川になかったもの。それは、与えられたポジションで自分を発揮できるメンタリティーではないだろうか。

 前述したように、それには両者のプレースタイルにも大きくかかわってくるものではある。朴は豊富な運動量で献身的に守備もこなすことができる。何より泥臭く、ファーガソンからの信頼も厚かった。一方で、香川は周囲と連動しながら自分自身のエレガントなテクニックを駆使してゴールを奪うタイプ。彼らを比較するのはガットゥーゾピルロを比較することと同じくらい無理があると考えたほうがいい。

 一方で、メンタリティーはどうだろうか。朴は献身的だ。松木安太郎氏はアジアカップで躍動する朴を見た時に「朴智星が4人もいるようだ」と評価したが、お国柄もあってか朴は相当メンタルも強かった。最後まで諦めないし、泥臭い。代表だろうが、クラブだろうが関係ない。ボランチでもウイングでも。任されたところで力を出し切っている姿がそこにはあった。香川はどうだろうか。苦戦をしていて、思うように結果を出せなかったことは言うまでもない。もちろん、フィットできるように努力をしたのは間違いないだろう。だが、それは自分の良さを殺してしまうことということではない。自分の良さをそこで活かすためにはどうすればいいのかをシンプルに考えることこそが、大事だったのだ。

 例を挙げよう。たとえば、アンドレス・イニエスタバルセロナでは中盤を任されることが多い。その一方で、類まれなる突破力を期待されてウイングで起用されることもある。中盤、いわゆるピボーテとウイングでは当然求められるスタイルも違う。しかし、フィットしないということはなかった。むしろ、自分がどちらでも生きることを証明し続けたようにも見えた。イニエスタはチャビと同等か、それ以上のパスセンスを持つ。バルサのコアが退団後は間違いなく彼がブラウ・グラナをコントロールするだろう。一方で、ドリブル突破も驚異的だ。必要とあればゴール前にも飛び出して相手を脅かすプレーもできる。そういう点ではチャビよりも驚異的と言える。

 香川はどちらかというとイニエスタに近いプレーヤーだ。当然一括りにはできないが。中央でのプレーに固執するあまり、彼自身が持つ能力そのものが何一つドルトムント以外に還元されていないのだ。それは日本代表でも同じことが言える。そのテクニックと能力はもっと日本代表に選ばれている以上は還元されてしかるべきものであるというのに。朴のメンタリティーではそういうことが考えられない。なおかつ、朴には京都時代もPSV時代もポジションなど確約がなかった。与えられたところで頑張るしかなかった。香川は違った。才能が飛び抜けていたからこそ、最初からポジションは与えられていたに等しかった。恐らく、本格的なポジション争いはマンチェスター・ユナイテッドが初めてだったのではないだろうか。常に確約されたポジションでプレーできるわけではない。その不安が、ここ数年の香川の歯車を狂わせてしまったのだろう。

 だからこそ、同じユナイテッドのメンバーであった朴から学ぶことがあるとキリタニさんは指摘したのだろう。今はキリタニさんもブログを閉鎖して音沙汰がない。確かめようのない答えではある。だが、自分の中でこういうことが言いたかったからなのかもしれないと感じ、今回ブログに書いてみた次第である。

 ドルトムントで再び太陽として輝くこと。それはおそらく香川であればできるだろう。しかし、その輝きをまだぼくは日本代表で見ていない。本来の彼は、もっとエレガントでもっと軽やかに自由にプレーしてしかるべき選手なのだ。背番号10とはそういう背番号でもあるのだから。