殴るぞ

色々と思いっきり話します。

藤光謙司「29歳の逆襲」

 藤光謙司がすごい。俄かに出た陸上短距離を席巻する実力者が、日本選手権でまさかの優勝を達成してしまった。今年に入ってからコンディションがすごく良く、記録会でも自己新記録を叩き出すなど絶好調であることは噂には聞いていた。しかし、29歳となったスプリンターである。ましてや高瀬慧や高校生ランナーのサニブラウン・アブデル・ハキーム、負傷で途中棄権したが飯塚翔太世界陸上に出場経験のある実力者がいる激戦区にも関わらずだ。

 それなのに、直線手前で抜け出すとあっという間に後続を引き離して優勝してしまったのだ。23で世界陸上を経験したベテランが、低迷していたと言ったら語弊があるのだろうがこの1年でなぜここまで競技成績が向上したのだろうか。

 本人曰く「ベテランと呼ばれる域にかかって、体が分かってきた」のだという。元々あった能力の高さと、100メートル走から400メートル走まで走ることのできる適応能力の高さ、リレーでも活躍することのできるユーティリティープレーヤーだ。それが、レースごとにコンスタントな結果を得ることができるようになった要因なのかもしれない。

 ケガがちなアスリート生活だった。実際のところ、織田記念であった突如の「覚醒前」も股関節に違和感を覚えながら走りでもあった。一番、練習を積まねばならない時期にケガとの調整に苦しめられた男は、不調な筋肉をいかに使わずに走ることができるかどうかという彼にしかわからない感覚で走っているのだから、恐れ入る。それと身体へのケアも怠らないこと。プロでは当たり前ともいえることであるが、恒常的にそれを行うことでコンディションを保つことができているのも大きいのだろう。

 身体の使い方を熟知した29歳の技術と、レースごとの経験がようやく合致してきたのかもしれない。実業団選手権や世界陸上経験者でありながらも、前述の選手たちや桐生祥秀山縣亮太らに隠れてきた「日蔭」の存在だ。なおかつ、ハーフ選手のサニブラウンケンブリッジらが控えている。今年も、通常であれば彼らにトピックスが移っていてもおかしくなかったはずなのに。「なんで調子がいいのかわからない」と笑う彼が、一方で好感覚を実感しているようでもある。

「勝ちパターンが分かってきた」。というのは本人の弁。だからこそやりたいことがやれているうちにやりきりたいものもあるようだ。それは、200メートル走における日本人スプリンター前人未到の19秒台。末續慎吾が持っているアジア記録すらも塗り替えてしまう快挙を成し遂げることとなる。これから世界陸上に向けて、彼のコンディションがどうなっていくのかわからないし、単純に実力不足で勝てないかもしれない。

 しかしだ。スプリントの世界において、ウサイン・ボルトアサファ・パウエルといったネグロイド系の選手たち、長距離でもアフリカ人選手たちが席巻している近年。それではやはり面白くない。大迫傑はそれに挑む形でナイキ・オレゴン・プロジェクトへの参加を決めた。中国人選手がアジア人選手初となる9秒台を成し遂げた。フランス人選手のクリストフ・ルメートルも白人として9秒台に入ってきたのは2011年だ。なおかつ、イチかバチかの一発勝負。何が起こるかわからない。だからこそ、29歳になる藤光の感覚に賭けてみたい。北京への切符を手に入れた男の経験にあえて期待したい。

 最初から諦めてみるスポーツほど、退屈なものはない。いつだって、選手たちは本気だ。

 では最後に一言。

「出る前に負けること考えるバカいるかよ!」

 藤光謙司絶好調男がこの夏駆け抜ける。