殴るぞ

色々と思いっきり話します。

メイウェザーvsパッキャオ Money(1)~Lose Yourself~

 父のシニア、叔父のロジャーとジェフ。ボクシングに携わってきたメイウェザー三兄弟血筋を引いた男、フロイド・メイウェザー・ジュニア。生まれた時からさぞセレブな暮らしをしていたに違いないと思わせるボクシング界のメーカーは、決して恵まれた環境から生まれたわけではなかった。

 アメリカのミシガン州で生まれたメイウェザー・ジュニア、本名フロイド・ジョイ・シンクレア。裕福でない生まれで、父のメイウェザー・シニアはボクシングでは到底食べていくことのできる環境ではなかった。シニアは麻薬の売人も兼業していたという。当然、合法とは言えないその商売故か、神経を尖らせていたと言われている。その矛先は家族へと向かった。家庭内暴力だ。トラブルもあったようで、身内から打たれそうになった時には幼いジュニアを盾にしたこともあったという。母は麻薬中毒に陥っていた。もしかしたら、メイウェザーの尊大でトラブルメーカーとしての下地ができあがったのは。私たちが想像していたよりもはるかに根深いトラウマのようなものとして残っているからなのかも知れない。

 同時期に父のシニアからボクシングの手ほどきを受ける。一般的に、今のスタイルを確立することになったのはシニアとされる。しかし、本人は当時のことをこう振り返っている。

「一緒に遊んだり、映画を見たり。アイスクリームを買いに行ったりするような。そういう思い出が一切ない。しょっちゅう殴られていて、姉や妹が殴られない。父は私より姉や妹のことが好きなのだろうと思ってたよ」

 幼少期から、両親の愛を受けずして(あるいは受けていたとしても心の中にそのようなものがなかったのだろう)育ったジュニアは性格を大きく歪ませたまま、彼は16歳の時に家を出る。シニアが麻薬密輸の罪で服役を余儀なくされたからだ。家にはヘロインを使用したと思われる注射器が転がり、殺伐とした環境で育ったジュニア。ある意味で金への執着心と勝利への渇望は、恵まれなかった幼少期にあると見てもいいのかもしれない。

 その後は叔父であるロジャーの下でトレーニングを積む。手ほどきとスタイルを叩き込んだのはシニアだ。それは間違いない。一方、しばしば彼とはトラブルを起こして絶縁を言い渡している。「自分が父親から愛されていないのではないか?」そういう感情からそのような態度をとってしまったのかもしれない。シニアは決してボクサーとして優秀ではなかった。トレーナーとして名を挙げたのも引退してから。盾代わりに使われたり、暴力を振るわれたり。何よりも重大で凄惨な心の傷を負っていた。それはぼくらにはとても想像しがたいものでもある。

 自分を守るためならば何でもするような世界。傷をつけられそうになったら過剰とも言える抵抗を見せる。しばしば見せるトラッシュトーク、大金持ちのアピール。世界王者とは唯一無二の存在であることは確かだ。しかし、負けてしまえばただの人。シニアと同じように、売人をしながら生きていかなければならないかもしれないという恐怖を持つ。負けてはならない。勝ち続けなければ。きっと、彼の根底にこびりついて離れないのだろう。

 その後、アトランタオリンピックでボクシング競技に出場したジュニアは、銅メダルを獲得して1996年10月11日にプロデビューを果たす。16歳でボクシングを生きる道として決意した彼は、1か月に1試合というボクサーからしてみると想像を絶するようなペースで試合を重ねた。その才能にハードワーク、ボクシングへの勘をさらに高めながら18試合目にヘナロ・エルナンデスを倒してWBC世界スーパーフェザー級のチャンピオンとなる。

 リング上でうれし涙を流したメイウェザー。しかし、これは現在まで続くメイウェザー伝説の始まりにしか過ぎなかった。