殴るぞ

色々と思いっきり話します。

セクシー・フットボールの名と共に

 箱根駅伝が終わると、いよいよ正月にも終わりが告げられる。正月ボケもいよいよ解消しつつ、といいたいのだけれど。どうしても正月ボケが終わらないリアルがそこにはある。そう、高校サッカーだ。学生のアマチュアスポーツが立て込むとどうしても見てしまう習性がある私にはかなりの正月ボケを強いられることとなるのだが、懲りずに書いて行こうと思っている。

 さて、高校サッカーにも印象深いチームというのはやはり存在する。たとえば、平山率いる国見高校。彼がエースの時には、ほとんど彼によって高校すべてが回っていたとすら感じていたものだ。今回紹介するチームも、かなり癖のあるチームだ。滋賀県野洲高校。セクシー・フットボールと呼ばれる個人技を織り交ぜたその攻撃的なサッカーは決してトーナメント向きのサッカーとは言えない。だが、時としてそういうサッカーが勝ちまくってしまう時がある。あるのだ。

 個々のドリブル技術が高く、これまでに乾貴士をはじめとする多くのテクニシャンを輩出している。それは山本監督の方針によりフィジカルトレーニングを行わず、とにかくドリブルのテクニックを行うことで培われたもの。もちろんその素地には元来あるテクニックある選手が多くいるからこそではあるのだが、とにもかくにも「手堅いスタイル」でしか勝てないというトーナメント戦の定式を覆すだけのスキルとボールを扱うテクニック。「野洲のサッカーは攻撃のサッカー」という評価を植え付けるだけの実力を見せつけることとなった。

 とはいえ、野洲のサッカーが常に勝利し続けてきたわけではない。むしろ近年はベスト8にすら残ることができない状況も続き、むしろあのサッカーがいかに特殊で選手権向きではないかということが表れている。逆に、近年で優勝するチームはやはり守備が強いことに比重が置かれる。一発勝負ではまれば強いが、かみ合わなければ県予選ですら敗退してしまう。

 こんなサッカーができるのは、チームそのものに勝利至上主義の雰囲気がないからなのだろう。いかに楽しく魅せて攻めるか。野洲のサッカーには失敗してもいい雰囲気がある。それゆえに思い切りのいい攻めと個人技の高さが目につくのだろう。それは現役でサッカーを経験したことがないからこそ生まれた発想なのかもしれない。ちなみに、これ以降パスを基調としたポゼッションサッカーを積極的にチームに植え付けようとする学校が増えたように思うことも付け加えておきたい(あくまで個人的な感想である)。

 野洲はサッカーを改革した。のちにFCバルセロナが強くなり、パスサッカーを主体とした攻撃的なサッカーが全盛期を迎える中で、多くの高校がそのサッカーを模倣し始めた。しかし、未だあの時の野洲を超えるサッカーを見せて勝利した学校はそう多くない。

 むしろ乾貴士がいた翌年の野洲ですら2回戦で涙を呑んでいる。それはやはり「守備」というセオリーがあってこそのサッカーであるということも言える。あえてセオリーを無視したサッカーがはびこった結果が「日本サッカー」における守備力の低さを招いてしまった遠因ともなったような気すらする。

 やはり、勝つためにはある程度のセオリーはある。それを無視してしまったことによる代償は決して小さいものではない。セオリーとなるにはなるだけの理由がある。もちろん打ち破ることも大事。しかし、無視を決め込むこととそれは決して相容れるものではない。

 とにもかくにも、それだけの存在感と鮮烈な印象が今でも野洲には残っている。楠神順平青木孝太乾貴士。日本でも屈指のテクニシャンが生み出したそのサッカー。セオリーに背を向けて、圧倒的な個人技で支配して見せたセクシー・フットボールという名と共に。