殴るぞ

色々と思いっきり話します。

もらとりあむ真央ちゃん

 社会人ともなると、コントロールできないことが圧倒的に多くなる。多くは会社の命令であったり、社会の方針であったり。学生の時に嘆いていた自由のなさがかわいく思えるくらい、コントロールできないことで苛立ち、ストレスを溜める。去年の夏、ある工事現場で働いていた時のことだ。とある職人さんから言われたことを今でも覚えている。

「今のままじゃ、お前、誰かに振り回されて終わっちゃうよ!」

 そしてそれは、今の今まで続いていた。私が今の会社を退職しようと決めたのは、結局自分のコントロールできないことで精神的に疲れ果ててしまったからだ。幸い、次の働き口は決まったので、大きな傷とはなりそうにない。それでも、辞める辞めないで会社ともめていることに変わりはない。

 何かを辞めるという決断は個人だけでは決めることができない。結局私は今も、コントロールできないことに苛立ちを覚えている。別にリーダーという立ち位置になりたいわけでもないし、期待されても困る。それは向こうが勝手にこちらに押し付けているエゴである。まあ、私も私で会社へエゴを押し付けていることに何も変わりはないのだが。

 浅田真央は、ずっと周りからのエゴをどう受け止めていたのだろう。

 15歳で世界トップクラスのレベルとなり、それをずっと維持し続けてきただけでも大変だったというのに、結果を出さなければ批判を浴びることさえある世界。ライバルと言われた金妍児との比較、母の死去。演技がかみ合わず、トップ・オブ・トップをずっと走り続けてきた心労から何度も引退をしようと思ったこともあった。

 それでも、そのたびに彼女は自らを奮い立たせてきた。日本だけでなく、世界でも注目され続けてきたその演技力。ライバルであった金妍児を妖艶な女性とするのであれば、彼女はさながら折り目正しいやまとなでしこという言葉が良く似合う。どんな時でも相手を貶さない発言、礼儀正しい言葉選び。多くの人が引退を惜しんだ今日、彼女はどれだけ多くの人に好かれていたのかを証明したと言える。

 だが、それさえも周りの大人が勝手に彼女へと付けてきた重しだったとしたら。明日から何もかも無くなる彼女に残った「浅田真央」というのは何なのだろうか。周りが勝手に押し付けてきたエゴが、彼女自身の身動きを取れなくさせていたとしたら。

 賢明で言葉を選ぶ人物だ。姉の舞さんのように、思いっきり暴露することができれば良いだろう。しかし、人柄ゆえにため込んできた物を支えるだけの心の力がなくなってしまったのかもしれない。ソチオリンピック後から上がらなかったパフォーマンス、負傷。要因は色々ある。それが彼女自身の選手としてやれるというメンタル的な自信を失わせることとなったことは言うまでもないだろう。

 だからこそ、「浅田真央」というイメージ像を守るためにも引退を決意したのかもしれない。結局はあくまで推測でしかないのだ。バンクーバーやソチ。金メダルには届かなかったが、多くの人を感動させるスケートをした。

 何度も何度もグランプリファイナルで絶対的な強さを見せつけてくれた。浅田真央は同世代の自分たちにとっても誇りだった。ゆとりだと言われてバカにされ、会社でも学校でも貶されてきた世代。彼女はそんなものを関係ないと言わんばかりに、世界のトップに君臨し続けてきた。本当は放課後にマクドナルドへ行くような学生生活を送りたかったかもしれないし、長期休暇中に海外へ遊びに行くようなこともしたかったかもしれない。それを全て捨てて、彼女はスケートへ打ち込んできた。そして、世間がイメージする「浅田真央」を頑なに守ってきたのだ。

 今年で彼女は27歳になる。会社では一番忙しい年代で、どこの誰よりも忙しく駆け抜けていく年代なのだろう。だが、彼女は15歳から走って走って、走ってきた。心が疲弊して、壊れてしまう前に立ち止まることも必要なのだ。奇しくも、今の私のように。

 わかっている。私と浅田真央は全然違う。彼女が頑張っているとき、私はまだ自分が何者かなのかも分かっていなかったのだから。世間が作り上げた浅田真央という人格が嫌なのだったら、これからゆっくりと変えていけばいい。新しい自分へと変わるための時間は、たっぷりある。

 自分も退職まであと1月あるが、しばらくは会社を休職中という身だ。新しい場所が決まっているとはいえ、ゆっくりと考える時間はある。しっかりと疲れを取って、新しい道へと進んでいきたいと思っている。

 ふいに思い出したのだが、前田敦子が主演していた映画で「もらとりあむタマ子」という映画があった。就職活動に失敗したタマ子が実家に帰り、仕事も手伝わずにゴロゴロとしていた中で、やがて自立していこうとする映画だ。AKBを卒業してから、彼女もまた行く道を模索しながらタマ子を演じていたのかもしれない。まさに彼女にとってモラトリアムの期間だったのだろう。

 今、まさに彼女のモラトリアムがやってきたのだろう。だが、どんな道を選ぼうともきっと彼女は幸せな人生を送ることができるはずだ。別に占い師でもなんでもないけれど、何となく彼女はそういう人生を送れる気がするのだ。

 最後になるが、同学年の人間として。

 これまで本当にお疲れ様でした。有難う。

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