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大谷翔平「大人は判ってくれない」

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 大谷翔平のケガが深刻なものであることは、多くのメディアによって報じられている事実である。WBC辞退を行った際、しかしオープン戦で活躍する彼の姿を見て仮病と騒ぎ立てていた人も居たには居たが、結論としてケガをかばうあまり悪化させてしまった。

 無理もない。ケガをしていてもあれだけやれてしまうのだから、仮病と言われてもやむを得ない。ダルビッシュと一緒にキックボクシングのトレーニングを行っていたことも言及されていたが、それは大谷の自己責任だ。我々が騒ぎ立ててどうしようともそれは無意味である。

 まるで漫画の主人公だ。打者としても投手としても一流。プロの歴史を見ても、これほどまでにスケールの大きな選手はいたことがないし、文字通りスター。それが大谷翔平という男なのだ。

 しかし、下手に才能があったがゆえに、それが大谷の身体に負担を強いていたのではないかと邪推してしまいたくなる。今年の7月で23歳となる彼だが、キャリアの中でも下半身のケガを抱えたままプレーするのは難しいこと。早い段階で治療に専念をさせてあげなければいけなかったのではないだろうか。と同時に、大谷が日本ハムを拒否してメジャーに行っていればこんなことにはならなかったのではないかとさえ思うのだ。

 

 日本ハムというチームが大谷を中心としてチームが回しているのだということは承知している。それだけの人材であると見込んで、大谷を指名したのも分かる。プロ志望届を提出して日本のプロチームでもOKだとさせたのは、最終的には大谷の決断があってだ。

 だが、投手も打者もやらせてとなると、当然身体への負担が大きくなることは十分に分かっていたことではないだろうか。ましてや本拠地は、人工芝の下がただのコンクリートとなっている札幌ドーム。いくら才能があったとしても無理やり二刀流を勧めてメジャー移籍を無理やり引き止める必要性がどこにあったというのだろうか。

 事実、大谷がここまでの選手になったから騒がれていることでもあるが、メジャーに行くという夢を捻じ曲げさせられてまで、彼は日本ハムでプレーしてきた。本当は19歳で夢のアメリカへと行くはずだったにもかかわらず、だ。

 別にここで大谷が高卒で即アメリカへ行かなかったから野球人生として失敗したと話すつもりはない。大谷は聡明な男である。自分がやりたいことと今やるべきことをきっちりと理解した上で先へと進んでいくことができる強さがある男だ。

 

 だが、大谷は今も周りの大人たちのエゴに振り回され続けている。結局は交渉で日本ハムに入団した。要は大人の都合である。高校の先輩である菊池雄星の時と何一つとしてやっていることに変わりはない。仮に大谷の素質が並の選手と変わりなければ、仮にプロ志望届を出してようが「どうぞご勝手に」というスタンスだったのだろう。

 18歳の彼にとって夢を一度諦める辛さというのは察するに余りある。本当は菊池のように号泣したかったのではないかと感じてしまう。だが、その方針をぶれさせた時、率直に言うと私は大谷が嫌いになった。そして日本ハムを始めとして、捻じ曲げさせた周りの大人が気に食わなかった。

 そして、二刀流に失敗しろとさえ思った。それを裏切るように、彼は投手としても打者としても素晴らしい結果を出した。それでも、今彼は野球が楽しいのだろうか。日本球界に貢献しろと言った人がいた。よっぽど高卒メジャーで活躍できる選手がいると示すほうが日本球界の貢献にならないだろうか。

 メジャーに行って失敗するというリスクも当然抱えなければならないが、なぜ当時の高校関係者を始めとする周りの人たちはその夢を理解してあげられなかったのだろうか。

 

「大人は判ってくれない」というフランス映画がある。主人公のアントワーヌは毎日が苦痛の連続だった。やがて学校からも厄介払いされ、親からも厄介払いされ、鑑別所に入れられて。大谷とは全く違うけれど、日本プロ野球の窮屈な世界で勝手にハードルを上げられ、日本球界を背負わされてきた。

 アントワーヌはやがて鑑別所から逃げ出す。そしてどこまでもどこまでも逃げて、海にたどり着く。そして、海岸で立ち尽くして、カメラを向いて物語が終わる。映画史に残るラストシーンと言われている。大谷が日本プロ野球からどこまでもどこまでも逃げた先には、きっとメジャーリーグが待っている。

 周りの大人に振り回され続けた彼が残さなければいけないものは、野球史に残るような数字と結果だ。我々は23歳の社会人で言えば大卒1年目の人間に対して過剰なまでの期待を載せていることに気が付くべきだ。必要以上の期待は、彼にとってただの重荷になるだけだ。才能に恵まれ、スターだからといって、必要以上の期待を押し付ける必要性はない。彼にとって、ただ邪魔なだけだと思う。宿命と論じるならば、それまでだが。

 そして、大谷がアントワーヌと同じように立ち尽くし、こちらを向いてきたとき。我々は一体何ができるというのだろうか。私たちは大谷の夢を判ろうとしなかった大人なのだ。

 

 

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