殴るぞ

色々と思いっきり話します。

ウサイン・ボルトの驚愕

 ウサイン・ボルトにバトンがわたり、走り出す。すると横にいたのは誰だろう。なんと、日本のケンブリッジ飛鳥だった。「おい、マジかよ!」という表情をボルトは一瞬見せたのもつかの間、グングンと加速していき、最後の最後は役者の違うところを見せてくれた。流石としか言いようがない。ウサイン・ボルトは役者が違う。改めて絶対王者の引退と、そしてその強さを思い知らされた。そして、いささか寂しい気持ちにもさせたのだった。

 あの衝撃は未だに忘れられない。北京オリンピックの男子100メートル走決勝。スタートと同時にグングン加速していくボルトは途中から頭一つ以上抜けだすと、残り20メートルは両手を広げて胸を叩いてゴールインしたのだから。コンマ1秒が左右する世界において前代未聞のパフォーマンス。ボルトは確かに、どの金メダリストよりも異質に見えた。だが、決してボルトは「100メートル走を本職としたランナー」では無かったのだ。その事実を存じている人は意外と少ないのではないだろうか。

 まず、スプリンターとして身長が大きすぎるのだ。身長195センチというのは短距離選手としては大きすぎる。大型の選手になればなるほど、一般的にはどうしてもスタートが遅くなりがち。しかし、それをボルトは後半の爆発的な加速力と後天的に鍛えざるを得なかった筋力で補っていた。そもそも、北京オリンピックまでは200メートル走専門の選手として知られていて、前年に行われた大阪の世界陸上でも100メートルの個人戦にはエントリーしていない。その時はタイソン・ゲイの後塵を拝していて、世界的にみても「メダル候補」でしかなかった。

 そして、脊椎側彎症という病気を持っていることによる。これによってボルトは骨盤をしっかりと固定して足の回転を活かして走ることができなかった。それがハムストリングへの負担に繋がり、ボルトの選手生命さえも脅かすものとなり続けていたのだ。これは、NHKロンドン五輪時に番組で取材したものがあり、知っている方も多いと思う。だからこそ、ボルトは徹底的に筋肉を鍛えて負担が大きくなる筋肉を強くしたのである。

 先天的に持っていた後半での爆発的な加速力とそれを裏付ける歩幅の大きさ、そして結果として鍛えざるを得なかったことによって生まれた「副産物」。100メートル走に出場するようになって5戦目で世界記録を出した上に、大阪で敗れたゲイに大差を付けての圧勝を勝ち取ってしまった。そして、ウサイン・セント・レオ・ボルトは「ライトニング・ボルト」へと変貌を遂げていったのである。

 だからこそボルトは努力をする人々に対して敬意を払う人物である。陽気なカリブの男であるけれど、いつだって謙虚な人柄がにじみ出てくるコメントや振る舞いが多い。2008年のスーパー陸上を花道に引退した朝原宣治さんに「今の私にはアサハラのように36歳まで走ることは考えられないし、難しいだろう」と息の長いキャリアに敬意を示し、今回の日本代表の銀メダル獲得にも「チームワークの勝利だ。バトンパスも素晴らしい。全く驚きはない。彼らはよくやり遂げたし、銀メダルにふさわしい走りだった」と讃える一幕もあった。それでも優勝は一切譲らないというところが、絶対王者たる所以ではあるのだが。

 そして、30歳となるボルトは第一線から退くことを決めた。とうとう、誰も彼の壁を破ることができないまま。北京で金メダルを取ってから、獲得できなかったメダルはフライングした2011年に大邱で行われた世界陸上の100メートル走だけ。実力で誰も、ボルトを打ち破ることは叶わなかった。

 パウエルもブレークも、ガトリンもゲイも。ボルトの壁を味わい、そして不遇の時を過ごした。おそらくはヨハン・ブレークが今後のジャマイカを支える存在となるだろう。しかし、彼もまだボルトの域には到底及ばない。そして、絶対王者が去ったこの後、日本の若武者たちにも大きなチャンスが来たこと。ボルトは教えてくれた。

 10秒の壁を打ち破った日本人は皆無だ。追い風参考記録桐生祥秀が達成したくらい。それでもリレーで、チームプレーの技術を高めることによって、アメリカに勝利することができたのだ(後にアメリカは失格というオチに終わったのだが)。それは「日本人は短距離で勝てない」という定説を覆した何よりの証拠だ。

 ボルトも覆してきた。そして、栄冠を手にした。そんな絶対王者が最後のレースとして出たリレーで、一瞬でも驚きの表情を見せたのは。それが日本だったのが。誇らしいと思う。

 ただ。日本には勝って欲しかった。これが私の本音だ。それを求めるのは贅沢だろうか? そうなのだろう。だが、桐生や山縣が。ケンブリッジサニブラウンが。表彰台に立つことを求めるのは贅沢なことだろうか。

 最後にボルトが見せた驚愕は、かつてテレビの向こう側で我々が感じたそれと何が違うのだろうか。どうせなら、来年のロンドンで。4年後の東京で。そんな贅沢な夢が現実になってもいいじゃないか。空想と驚愕は、スポーツにおける何よりの醍醐味なのだから。

 ボルトはそれを私たちに教えてくれたのだから。

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