殴るぞ

色々と思いっきり話します。

白鵬の敗戦は北の湖の導きだったのか

 2分49秒1という、激しくも長い戦いの末に勝利したのは照ノ富士だった。将来の横綱としても期待がかかる大関は膝の靱帯断裂に苦しみ、今回は勝ち越すのがやっと。苦しんだ九州場所で、絶対的な強さを持つ白鵬を下した照ノ富士の底力を見た。現にトップコンディションの横綱白鵬を破ることができる力士は限られている。

 余計なことをせずとも強いはずの白鵬は、見ている世界が違いすぎる。そして、違いすぎるが故に好き放題やり始めた。ダメ押しや猫だましはまさにその典型だろう。決して相撲として間違っているわけではない。しかし、横綱として。果たして正しいものなのかどうかは、賛否両論あるだろう。私はそれが間違っていると思う。横綱故に許されない物やルールというのが、確かに存在しているから。

 母にメールでその話題を出した時だった。返ってきた一言は「北の湖の導きだ」。先日、亡くなった横綱北の湖白鵬の猫だましを良しとしなかった。近年の振る舞いを日本相撲協会の理事長として、そして先輩の横綱として。一切許さなかった。しかし、白鵬は聞き入れていたかどうかは疑問だった。尊敬している大鵬双葉山と比較して、軽蔑すらしていたのではないだろうか。

 かつて、相撲界の危機に立ち向かってきたヒーローは悪に落ちてしまった。残念な振る舞いからその強さとは裏腹にますます増長していった。彼が勝つことを望む人がいる反面、負けることを望むファンも増えたことは否めない問題でもある。30歳になった彼は円熟の域に達し、一方で衰えを自覚しているのかもしれない。

 力士に限った話ではないが、プロのスポーツ選手にはいつか衰えがやってくる。白鵬も例外にない。3分近い相撲であったとはいえ、彼の特徴でもあった相手のパワーすら吸収する柔らかさが衰えているようにも見える。下半身の粘り強さがそれを支えていたのだが、秋場所から負傷が発覚した箇所が治っていないのだろう。

 それでもその影響を感じさせなかったのはさすが横綱と言える。形はどうあれ12連勝したのは白鵬健在と思わせるほどだった。日馬富士も今回は調子が良かったというのもあるが、敗れてもまさか照ノ富士に不覚を取ることはないだろうと高をくくっていた。しかし、結果は見ての通りだった。

 本当に強い相手と対戦したことで、懸案事項が浮かび上がってくることは良くあることである。しかし、それ以上に白鵬横綱として慢心を抱いていることを神様は、そして北の湖は見ていたのではないだろうか。

 力士は神のお使いだ。1年前、私は白鵬の振る舞いに対してそう書いた。横綱は神に最も近い存在だ。最強の存在は別に大関でも相撲のルールとしては何一つ問題はない。それでもなぜ横綱は存在するのか。大関への降格すらもない特権を持った存在であるのはなぜだろうか。最強であり、なおかつ相撲を捧げる神の使いが必要だからだ。

 今の白鵬鶴竜を神の使いと考えられるか。答えはノーだ。北の湖が果たして品格あるような横綱だったかどうかはわからない。「江川・ピーマン・北の湖」と呼ばれていたくらいだ、好き嫌いが激しい力士であったことは想像に難くない。だが、先輩力士として横綱として。誰かがだめなことはダメと言わなければ、好き放題に振る舞い続けていつかは相撲が消えてなくなってしまうかもしれない。大げさかもしれないが、そういうことも十分に考えられる。

 トップ・オブ・トップを歩んできた北の湖白鵬に対してこれではいけないのだと忠告を何度もしたはずである。白鵬は聞き入れたのだろうか? 私は聞き入れたように見えなかった。そんなことをしたら、相撲の神様に怒られるぞと、北の湖が言ったかはわからない。しかし、それは現実になった。

 これはどのスポーツでも言えることだが、慢心をした選手は必ずどこかでしっぺ返しを食らう。マニー・パッキャオもそうであったし、ロナウジーニョも入るだろう。決して高いレベルでやって来た選手だけの話ではないのだ。神様は見ている。間違いない。

 果たして彼が許されるのかどうかは、千秋楽の結果がものを言うのだろう。もう一度チャンスを与えてくれるかもしれないし、それはないのかもしれない。何がしっぺ返しになるのかもわからない。だが、どんなに品行方正であった人間でもたった一回の過ちでイメージが変わってしまうことは良くあることである。あれだけ優等生だった彼が、このような振る舞いをすることに私は未だ理解できない。

 北の湖は最後の遺言として、白鵬の敗戦を導いたのだとしたら。もう、白鵬最後通牒を突き付けられたに等しいのかもしれない。悪役として生きるのか。それとも、白鵬翔という大横綱としてこれからも生き続けるのか。ラストチャンスとして残された時間はもはや残りわずかである。

 私たちは、所詮第三者にしか過ぎない。どれだけ振る舞いが悪かろうが、土俵上やメディアに対してやりたい放題やろうが、「そんなことは知ったことではない」と遮断してしまえばそれまでの話なのだ。彼が自覚するしかない。それでも私たちは彼に言い続けることはできる。

 言い続けよう。彼が気が付いてくれるその日まで。そしてそれが、大横綱であった北の湖敏満への何よりの手向けとなり、供養になる気がして私はならないのだ。

 この場をお借りして北の湖理事長にご冥福をお祈り申し上げて、今回の文章としたい。

(文章は敬称略)