殴るぞ

色々と思いっきり話します。

人は業の塊で、だけれどそれが人間なんだよねという話。

人間って本当に業の塊だよなって思う時がある。

「本当はこうしたいんだけれど、全然できない」とか。
「こうあるべき人間なんだけれど、実際は全然そんな事無い」とか。
「幸せを願っているって言ったけれど、ごめんやっぱ無理」とか。

この前、人生で大きな転換点があった。
思いっきり泣いて、普段は読まない小説や音楽を聴いては涙を流し、カフェに行ってため息をついて、友達に絡み酒をして。
朝起きては憂鬱になり、カラオケでストレスを発散し、リア充爆発しろって叫び、ポエムを書いて、イメチェンしてと様々。
ふと気が付いてみると、自分よりも周りが勝手に盛り上がっていただけ?と思って馬鹿らしくなって。
「良い人」だったけれど、その前に「都合の」が付くだけだったんじゃないか?と思って。
気が付いてみると、結局は他人のせいにしている自分がいる。悪い奴だと自分でも思う。
自分でもこれを書く事が最後に自分の気持ちにケリを付けられると思って、書いている。

最近、色々な人を見ているけれど「良い人で居たい」っていう、ポジション取りをすることに苦労し過ぎているように見える。
そりゃあ良い人で居れればそれでいいし、何より心地良い。実際みんな良い人ばかりだけれどね。
だけれど、そんな良い人で居続けられる程、人ってそんな強くない。

だから、「自然体で生きる」っていうのが、最近のテーマ。
様々な挑戦の年でもあるけれど、自分が選択してきた運命は、間違いなく解決のできる物だし、宿命は決まっているようなもの。
だから、自分が日々淡々と自然体で生きていくという事をすごく大切にしているし、自分があるがままに、感じたままに生きているっていうのも大事にしている。
色々遠回りをしてきて、まあ色々と問題はあるけれど、でも解決できるんじゃないかって気はしてる。
宿命は決まっているのだから、今更どうなったって驚きはしない。
……いや、多分色々と感情を露わにはしているだろうな。

結局ぼくは文を通して、人の「業」を肯定する事が宿命なんだと思っている。
Facebookやインスタには書けないような事であっても、「それでいいんだよ」と肯定してあげる事なんだと思っている。
文字はお手軽になるけれど、読んでもらう文章はきっとそういう事なんだと思う。いいね!はもらえないだろうけれど。
共感をかなぐり捨てて、自分の感情が乗っかった文章は、世界で一番面白いっていう確信があるから。

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